みしっく今日のひとこと - 2001年4月


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★ひとこと目次 ◎ほーむ


■2001/ 4/30(月)

最近,匿名掲示板に関心がある.匿名掲示板というのは, 2ちゃんねるが代表的なもので,

掲示板そのものは特定のホームページに従属せず汎用的なもの,だと考えたい. 匿名ということで気になるのは荒らしや無関係な投稿だけれど, 削除があるのでかえって NetNews よりましだったりする.

してみるとおもしろそうだ.課題は,どういう方法論で切り込むのか, だろうけれど.

ウェブ日記の世界には先行研究がたくさんあるけれど, 匿名掲示板についてはどうなんだろう.

いままで「今日のひとこと」作成環境が へなちょこミニタワー PC + FreeBSD + Mule + Perl5 + 自作スクリプト だったものを,ノート PC + Windows + 秀丸 に変更.


■2001/ 4/29(日)

次の開発は Windows.研究室で Visual Basic の本を探すが見つからない.Visual C++ を使おうかと思っていたところ,Borland の C++ Builder をすすめられて,さっそくインストールしてみた.VB を C にしたようなもので,割と使いやすそう.適当に作ったプログラムを走らせると OS が不安定になってしまうのはいただけないけれど,Windows だからしょうがない.


■2001/ 4/28(土)

世間ではゴールデンウィークらしい.去年5月4日の欄に最近数年間のゴールデンウィークにしたことのサマリーがある. そういえば,最近山に行っていない.

林道義 著 『父性の復権』という本があるらしい.父親が家事で存在感を示したら威厳が云々(林道義氏がそう書いているわけではない, 念のため)らしい.でもそんなこと言ってると逆に存在感なくなっちゃうよ?って感じ.

昼,研究室に行くと,電気がついていないのにかぎが開いている. 施錠を忘れちゃだめだよ,と思いつつドアを開けると, この間研究室に入ったばかりの某4回生が横たわっていた. 声をかけても,ぐっすりと眠り込んでいて,起きる気配すらない. 部屋はマシンの放熱でいつも暖かく,休息を得るには悪くない. いくらカーペットが敷いてあるからといって, フロアーにそのまま横になっている人の隣で作業するというのはやっぱり違和感があるけれど(BOX だったら全然平気.なぜだろう), 起こすのも何だし,と思って放っておく.

就職活動もいよいよ大詰め.A 社の方と面談.B 社を志望するのはわかるが,C 社に行きたいというのはちょっと疑問,というコメントに,動揺してしまう.A 社とは関係がない会社についての話なので身びいきとは思えないし. 志望順位を変えた方がいいのだろうか.

その他,「あなたは奥ゆかしいところがある.もっと自己 PR しなさい.それは社会人になってからでも同じだが」とのアドバイスをいただく. それは重々承知なのだけれど,ついつい.

某社から内定の連絡をいただく.それはとてもありがたいのだけれど, 他社の面接をキャンセルしてほしい,などと求められるとけっこう困ってしまう. とりあえず目先1週間は,目の前にあるタスクに自然体で臨み, 可能なかぎり誠実に進めていくほかないだろう.


■2001/ 4/27(金)

朝から晩まで,くるくる働く.自分のために,また,ひとのために.途中, 保健診療所に出向いて健康診断書の発行を受ける.健康診断の1週間後以降の火曜・金曜, 14時から15時までしか交付請求を受け付けないということで, 診療所はすごい混雑だった.

ミントティーをいれた.ミントと紅茶を混ぜていれるミントティーもおいしい.

髪を切った.もちろん失恋したわけではなくて, 単に髪が「長め」の状態から「長すぎ」の状態になってきたことに気づいたので, 切ったもの.それで研究室に戻ったところ,さっそく指摘された. こういうのによく気がつく人にはちょっと感心してしまう. 私の場合,他人が髪を切っても,最初は「微妙に違和感がある」ぐらいにしか感じないことが多く, あとで気がついてそう言っても「遅い!」と突っ込まれてしまったりした経験もある. こういうのはやはり得意不得意なのだろう.

夜は,生協で金時豆食べつつ対談を読む.詩についてθさんなど3人が某誌で「対談」していたもの. 3人なら対談じゃないじゃん,ということでか,「座・対談」と銘打ってあるけれど, 座談会という言葉にはちょっと色合いがついていて使いにくいなと. でもそもそも対談というよりはインタビューと呼ぶ方が正確ではあるかも.

七五調は人を酔わせる,らしい.「学問の自由は,これを保障する」(憲 23)とか,「相続は,死亡によって開始する」(民 882)とか,あるらしい.


■2001/ 4/26(木)

某社最終面接のため東京に日帰り.採用担当の方に「君,姿勢がきれいだね. ダンスか何かしているの?」などとほめられてしまう.半分は本気なのだろうし, それはやはりうれしいことだ.面接は1対1で,入社したら上司になるはずの部長と. 技術的な話もいろいろできてよかった.やはりネットワークの現場は楽しそうだ. 面接後,この会社の研究所で IPv6 にかかわる開発をされている方からお話をお聞きする.私も早く v6 の世界を体験してみたいと感じた.v6 しか能がない技術者になってしまってはいけないけれど.

話変わって,いままでひらがなかアルファベット, 音声でしか知らなかった人の名前の漢字での書き方を新たに知る瞬間というのは, どきどきするものだ.漢字で書かれた名前は私にとってその人のイメージやその人とのこれまでのインタラクションが強く連想されるものだからだ.

最近,就職活動の移動時間には, 中国のエスペランティスト科学者たちが書いた本を読んでいる. 「有名な詩人ワン・ウェイ (701-761)」なんて書かれてもその人のイメージが思い浮かばないじゃない, などと突っ込みつつ.「汪威」と書いても読みは「ワン・ウェイ」になるだろうけれど, もちろんこの場合は「王維」と書くのが正しい.

代官山という街はまだ歩いたことがないのだけれど,代官山で人気らしい Qu'il fait bon というタルト屋さんが三条木屋町にできているらしく, その評判を聞いた.よしあし両方のコメントをもらったので, やはり行ってみて確かめなければ.

カフェは大宮通りのあたりがよいとかいう話も聞くけれど,岩倉のエヴァンタイユ デリカも試してみたいし,ああ忙しい(^^;


■2001/ 4/25(水)

今日の印象に残ったひとこと:

某通信事業者の方「では次回の面接には印鑑を持ってきてください. 今度は新幹線だけといわず,エンドツーエンドで, ローカル線から何から含めてお支払いしますから」
……エンドツーエンドというのが通信業界っぽい.

午前中は就職関係の作業をして,事務に行ってから研究室の昼食会(最近はコック長食品でなくなかじまのお弁当になった). 午後には15分ほど,学内の自然を探索する時間もとって,それなりに充実した一日.

voyage という単語のつづりを間違えて vojage と書いてしまった.自分でもなんか違うなあと思いつつ. なんか頭が混乱してるっぽい.この単語,フランス語では voyage(男性),英語でも同じつづり(発音はだいぶ違う),エスペラントでは vojagxo(gx は g の上に ^ を付けた文字を表す)とつづる. 意味は各言語で微妙に違う.

ミントは製氷皿に並べて,ミント氷を作ってみたり,いろいろ.


■2001/ 4/24(火)

知人からミントをたくさんいただいた.どうやって使おう,と考えて, とりあえず生けて机に飾ったり.

オランダ・フランス・スペイン旅行から帰ってきた人からいろいろ話を聞いた. 写真も200枚ほど見せてもらった.某 N さんが撮った合宿の大量の写真と違って当たりはずれがなく, ちょっと感動してしまう.やっぱりフランス行きたい. デジカメを買ってパリに行こう.

某社から留守電.履歴書・成績証明書(学部のも含め)・修了見込証明書を東京まで郵送してほしい, 27日まで,とのこと.M1 の成績証明書と修了見込証明書は予備で取っていたのがあったし, 履歴書も半分書きのがあったけれど,学部の成績証明書は請求の翌々日に交付なので, 間に合わない.ゴールデンウィークとかあってなかなか微妙. 健康診断書もなかなか出なさそうだし,ちょっと困ってみる.


■2001/ 4/23(月)

昼食は運悪く12時ごろになってしまい,生協の食堂が混み混み. 食べている間に,見る見る列が長くなって,ホールを一周するほどになる. 待っている時間の機会費用は膨大だろう.待っている人はその間の時間が無駄になるかもしれないし, 生協の売上も待ち行列が発生しない場合に比べて減少するはず. それで考えたことはもちろん,経済学の手法でこの問題を解決できないかということ. 直ちに思いつくのは,「提供している食べ物に課金するだけでなく, 12時から12時40分ごろまでにレジを通過することにも合わせて課金する, たとえば12時から12時10分までは50円,12時10分から20分までは30円, 12時20分から40分までは20円」という方法.それで一方的に利益が増えてしまっては話がややこしくなるので, レジ通過課金分だけ広く薄く値下げする.たとえばライスMは93円ぐらいになるかもしれない. 「東京のホテルは土曜休日が安い」とか,「JR の指定席特急券は繁忙期と閑散期で料金が400円異なる」というのと同じ話だ.

もっともこうすると,最繁時間帯に食堂を利用するのは大部分が学部生, とりわけ下回生なので,「生協は下回生に冷たい」という感情的な反発を受けることは必至だ. 逆に最繁時間帯以外の利用に対して割引を行う(この場合は代償として広く薄く値上げする)ことも考えられるけれど, 人間は負担の増加(ただし明示されているものに限る)には敏感だけれど負担の減少には鈍感なので, 効果を得るにはレジ通過課金方式に比べて大きなインセンティブが必要になるという欠点はあると思う. ライスMはたとえば110円ぐらいになるのだろうか.

などといろいろ考えてみたものの,とりあえず「雨の日サービス」よりはずっと大きな問題であることは確か.

午後は M1 の特別講義の準備で時間を費してしまった. 講義室で天井に吊ってあるプロジェクタが年度末に更新されて, それでケーブリングもいっしょに変更になって,どのケーブルに PC をつないだら PC からの出力がプロジェクタで映し出されるかわからないのだ. ケーブルはいったん天井裏を経由しているので,眺めているだけではどれがどれなのかわからなくなっている. しかも BNC なので太くて,取り回しが大変.ドキュメントは現状を反映していないし, 学生で講義室の使い方を知っている人はほとんどいなくて, 先生に聞くしかないのだけれど,まさかこんなことを聞くわけにはいかない. 事務室に聞いてみたのだけれど,「先生方が管理されているものなので把握していません」という予想どおりの答え.

結局,とりあえず研究室の可搬型プロジェクタを使うことに.困ったものだ.

準備に時間もかかったし,先生(ちなみにフランス人)には申しわけないけれどあまり内容に興味がないし, ということで講義には出ず,図書館で内職.

講義後,再び講義室に戻ってプロジェクタの片づけ.M1 の某に,「どんな内容でした?」と聞かれる.してみると, 講義は日本人があまり理解しない言語で行われたようだ. でも私は聴いていないので,「いやそれはこっちが聞きたいよ」と答える. 「しょうがない,(提出レポートをまとめるためには, この言語に熟達していそうな)某に聞くしか」 「でもそうすると研究室内エコマネー(コミュニティマネーともいう)を消費してしまうんだよね」. 講師の先生によれば, お話は先生の研究室で進んでいる3つのマルチエージェントのプロジェクトについてで, 1つめは実際に動いて走り回るロボットを作るプロジェクト, 2つめはそれを使ったりして災害対応などをする話(RoboCupRescue みたいに),3つめはオブジェクトのロバスト性を上げるためにレプリカを作っておく場合, オブジェクト全部を単純にコピーするのでなくクリティカルな部分だけをコピーするという話,だという. 予想に反しておもしろい話だったようだ.

連携の研究室に所属する某から「Acrobat が立ち上がらない(PDF ファイルを開いたとたん,エラーが出て終了してしまう)んだけど.PDF ファイルのアイコンもデフォルトの窓マークになっているし」という訴え. インストールされていた Acrobat 4.0 をアンインストールして再度インストールしてみてもだめ. 再起動してみたところ,アイコンはきちんと PDF ファイルの通常のアイコンに戻ったものの,立ち上がらない問題は解決されなかった. OS の再インストールしかないかも,と思いつつ,試しに Acrobat Reader 5.0 をインストールしてみたところ,すべて解決してしまった. 原因はわからずじまいだけれど.


■2001/ 4/22(日)

実は専攻の教務に提出する大事な書類が見つからなくなっていることに気づき, あわてて研究室の中を探し回って,やっと見つかった. この書類は外部の先生から承認の署名をいただいたものを保管しておき, 修士論文の審査のときそのコピーをあわせて提出するものなので, なくなったら大変だ.

カウンタが 15,000 を突破.


■2001/ 4/21(土)

昨日の欄で「小麦粉」とあったのは「アーモンド粉」の誤りにつき訂正.

メールを書いたり雑用をこなしたり.

夜は研究室の後輩が所属する金管楽団が京都コンサートホールで演奏会を開くということで, 研究室の人たちと聴きにいった.その後,松ヶ崎のサンマルクで遅めの夕食.このチェーン店は雰囲気がよいし, 焼き立てパンつきのフルコースが食べられるので, たとえ割引が効かなかったとしても普通のファミリーレストランよりコストパフォーマンスがよいのかもしれない. もっとも,一般人受けすることやコストを削減することを追求している向きがあるので, 「通好みの逸品」や「隠れたこだわり」を求める向きには飽きたらないかもしれない.


■2001/ 4/20(金)

18日は,研究室の新歓コンパ.けっこういろいろな人が来て, また賑やかになりそう.私もがんばって結果を出さなければ.

19日から20日にかけて,就職活動で東京へ.初めて隅田川の東に泊まった. もっと下町っぽいかと思ったら,そうでもなかったけれど, 製本とか紙器製造とかいった軽工業の工場が多い地域だった.

20日は時間がちょっとあったので,世田谷区は下高井戸駅南口の洋菓子店「ノリエット」(朝9時から営業していた)へ. 生菓子も焼き菓子も,品揃えが恐ろしいほどに豊富. 店名から名づけられたケーキ「ノリエット」(チョコレートのムースを主体とする)とシュークリームを食べて, ミルクティーを飲んで,マカロン(卵白・アーモンド粉・砂糖で作る焼き菓子)とパート・ド・フリュイ(果汁をペクチンで固めたもの)を買って帰った. お菓子の味の方は,予想どおりすばらしかった.山手線を横切ったかいがあった. ただ,素材の自己主張が激しいので, 自分はどういうお菓子が好きなのかをよく考えてから注文する必要はありそう. ともあれ,今後も当分は東京に行くたびにノリエット詣でをすることになりそう.

その後,近現代史を彩る日比谷公園を訪れ,園内を散歩したり, 東京消防庁音楽隊の演奏を聴いたりもして,楽しめた一日だった.


■2001/ 4/17(火)

日韓中青年セミナー (Komuna Seminario de Esperanto inter Koreio, Japanio, kaj Cxinio) の話題.今年の開催国は韓国. ソウル市竜山区は東部二村洞(トンブイーチョンドン)で開かれるらしい. 東部二村洞といえば,ソウル住まいの日本人の多くが住んでいることで有名な地区だ. 「地下鉄イチョン駅近くでやるよ」という話は聞いていたのだけれど, 「イチョン」という地名とこの地区が頭の中でリンクしていなかったので, けっこうびっくりした.何かそういう在留日本人とリンクしたような企画ができるとおもしろいのかも.

3国持ち回りで,去年は香港だったので,来年は日本ということになる. 沖縄はどう?,とか,いっそ美唄市(合宿できるような施設,あるんだろうか……), などとつぶやいてみたのだけれど,「交通費がかかるからだめ」と却下されてしまった. 交通費を考えると結局関西か関東になるらしい.一昨年は滋賀県だったそうだから, 今度は首都圏かなあ.

留学生センターの前の庭に工事が入って,公園っぽくなっていた. これまでは表面は土で,かといって芝生ではなく, いわば雑草が生えているにもかかわらず,手入れのおかげで草ぼうぼうになってはいないという, 半自然的な場所だったところ,今回の工事で大部分が石畳になった. 自然が失われたのは残念だけれど,古い樹木を保存した造園工事だった点は評価する.

昼はその公園っぽい場所でお弁当.残念ながら朝作ってきたお弁当というわけではないけれど. 13時を少しすぎると人波が引いて,なかなか感じがよかった.

花背山の家は,高松 伸という有名な建築家が設計したものだという話を聞いた. なんでもこの人は京都中に独特な建築物をつくっているらしい.

リンクを小幅更新.


■2001/ 4/16(月)

FreeBSD と BSD/OS を出している BSDi 社が BSD 部門を Wind River Systems 社に営業譲渡する,という内容のアナウンスが5日(日本時間)に流れていたことを知った. うーむ.どうなるんでしょうね.最近はこの世界も動きが激しくてよくわからない.

午前中にミーティングが1件.所属研究室と関連の深い部屋に最近入ったコクヨのコピー黒板を使う. 要はホワイトボードにスキャナとプリンタがついているというだけなのだけれど, ホワイトボードに書いたことがそのまま手元に出てくるというのはなかなかおもしろいものだ. ちなみにプリントアウトは普通紙にインクシートからインクを転写する方法で行うので, ランニングコストはちょっと気がかりだ.

昼,生協旅行センターに立ち寄って乗車券類変更を1件. 東京行きが中止になったので,特急券はすでに払い戻してあったのだけれど, 乗車券は11日から使用開始のきっぷだったのを19日から使用開始に変更することにした. 使用開始前・有効期間内なら1回に限り手数料なしで変更できるのがうれしい.

夜は,京都エスペラント会の週例会.この会に出たのは2度目. 今日は某全国紙の記者さんが来るということで, お誘いのメールを京エス会幹部の方から複数いただいて, それで参加することにしたもの.参加者は約15人.うち5人ほどは外国人の方で, すごい賑わい.私一人だけ15分ほど遅刻してしまったのはやっぱりまずかったようだ. 直前までデバッグにいそしんでいたからなのだけれど. 記者さんは予想に反して若い人だった.推定25歳・女性. ショートカットがよく似合い,裏表のなさそうな眼をした人. お誘いのメールをもらった時点で, 京エス会幹部の方たちが「若い人もエスペラントを始めているということを記者さんにアピールしたい」と考えていることが読み取れたのだけれど, そのとおりになったのがうれしかった.

内容はというと,ドイツからのゲストが披露してくださったマジックを鑑賞するなど, こちらも充実していて楽しかった.記者さんはエスペラントを解さないので, 一人のエスペラントの先生が通訳をしたのだけれど, 月の名前を固有の単語で言うか序数詞で言うかとかいうちょっとマニアックな話とか, 趣味の話でちょっと微妙な話になったのとかは大胆に通訳を省略してしまっていたのもおもしろかった.

ということで,2種類のお客様を迎えて,心暖まる夕べだったのでした.


■2001/ 4/15(日)

復活祭.

昨日から,学科の新入生歓迎合宿で,左京区花脊別所町の花背山の家へ.

花背というのは鞍馬からひと山越えたところの山あいに連なるいくつかの集落からなる地域のことで, そこに京都市教育委員会が持っている施設がこの花背山の家. 学科の合宿ではここ数年間,1泊2日でこの施設に行くことになっている.

1回生のほとんど(約90名)が参加し,その世話をする大学院生と教官と合わせて100名強. 山の家までの足としては,京都バスを3台借り切った.

この辺りの山には何回か足を運んだことがあるものの, 山の家に足を踏み入れたのは初めて.着いてみると,これほどひなびたロケーションにもかかわらず, コンクリート打ちっぱなしなどを大胆に使った超モダンな建物が棟を並べていた.研修室には OHP のプロジェクタはもちろん,ノート PC をつなぐ液晶プロジェクタもあるし,生活面でも,暖房は灯油ストーブが完備しているし, お風呂もあるし,食堂も広くて清潔なもので, ネットワークへの接続性を除けば都会と変わらない快適な生活が送れる. 私のポリシーは「都会では快適に,田舎では素朴に」なので, 何だかなあと思ったものの, 数百人規模の団体を受け入れるためにはこのような施設が必要なのだろう. この大きな施設を動かすために,事務,食堂,清掃,警備などに, 芦生演習林の職員よりずっとたくさんの人たちが働いていた.

1日目の午後は,まず宿舎に荷物を移してしばらく自由行動. アスレチックなどで楽しむ1回生も.その後, 本館で学科長・コース長ほかの講演.18時からご飯. ご飯はビュッフェスタイルで,メインなどには加工食品が多用されていたものの, サラダはけっこうおいしかった.それから入浴.お風呂から上がったところ, 1回生の某がひとりピアノを弾いていて,しばし耳を傾けた.

宿舎に戻って,班別(懐かしい響き)のグループ懇談会. 私はアドバイザーということで,疑問点などに逐一答えていくという役割.

22時消灯で,私はすぐ横になったのだけれど, 下の階の人たちが騒がしくてなかなか寝つけなかった. 宿舎はオープンな造りになっているので,声がよく通る. 別室に移動してもらおうか,と一瞬思ったけれど, でもそれって権力の乱用なのでは,と思ってやめた. そもそも運営側の人間が1回生たちと同じ部屋に枕を並べて寝るというのはけっこう微妙なシチュエーションなのだから, あまりコンフリクトを起こしたくなかった.

翌朝は7時半ごろ起床.朝食.グループ懇談会の結果を踏まえた全体討論会. 各班1枚ずつ渡された OHP フィルムにグループ懇談会の結果と教官への質問を書いて, 班長が報告・質問するという流れ.だいたい大学の先生というのは他人の質問に親切に答えるということをしない人が多いので, 私の班の人たちのやや抽象的な質問に的はずれな答が帰ってきてしまったのは残念だった.

全体討論会の後は,日がさんさんと照る中,自然を楽しみましょうということで, 再び自由時間.私はスギ林の中をひとり散歩して, けっこう思い入れのある植物を何種類か見つけたり乾いた林床で日光浴したりと楽しんだのだけれど, 1回生の人たちはそうでもなかったらしい.現地で解散して, 行きと同様のバスで帰った.

今回の合宿で感じたことは三つ.まず最初に思ったのは, これだけたくさんの人たちが集まっていると,いろいろ出てくる問題をうまく解決するのは大変で, いろいろ走り回ったけれど,努力した分だけ1回生のみんなのサポートができたし, 山の家の職員さんたちも親切だったので,無駄な努力をすることはなくて, 充実感があったなあということ.二つ目は, 集団での生活というのは実にいろいろ配慮が必要なのだなあということ. 集団生活では一人一人が自分の頭で考えて行動するということが難しいので, 何から何までおぜん立てして統一的な行動をとれるように適切な指示を出さないとうまくいかない. 最後に,この施設は実に教育的配慮が整っていて, 指導者側のスキルが少なくても参加者が自分で学習できるようになっているんだなあということ. 本館の中には植物や自然,花背の暮らしについての展示物が山のようにあるし, 広い敷地内の林内は危険なところがないように整備されているだけでなく, 「この辺りの自然にはこういうふうなおもしろさがあるので, その点を味わって自然観察しましょう」といった看板がそこかしこに立っている. いたれりつくせりだ.反面,人為が加わった跡があらゆる場所に見つけられるのは, 興ざめかもしれない.

昼食は,Sunshine Cafe とユトリロキッチンをのぞいたところ,どちらも満員だったので,家で食べることに. カナート洛北のドンクでベーコンレタストマトサンドと, いちご・生クリームのデニッシュを買って,野菜ジュースやローファットミルクを飲みつつ食べた.

耳鼻科でもらった薬をチェック.ニポラジン 5 mg 錠,パラメゾン 2(2 って何だろう),アレギサール 5 mg 錠など.ニポラジンは即効性があっていいけれど,パラメゾンまでは必要ないし, アレギサールも今年はもういらないや,というのが感想. 今後はときどきニポラジンを飲むという感じにしていけばよさそう.

夕食にはふきのとうみそを作った.ふきのとうは,花背で取ってきたもの. ちょっととうが立ちすぎではあるけれど,おいしい.

みうぞうさんのサイト復活により,リンク集を更新.


■2001/ 4/13(金)

昼前にミーティング1件.

大学の保健診療所が休みなのに花粉症の薬が切れてしまったので, 通学路上にある耳鼻科の診療所へ.ここに行くのは初めて. なんか流れ作業的であまり症状や希望をゆっくり聞いてくれないお医者さんだったけれど, 待ち時間が少なかったのはよかった. 「目薬もお出ししましょうか?」「点鼻薬もありますよ?」と商売熱心だったけれど, 私はそれほど重症でもないし,症状が全快する必要もないし,スギ花粉はもう終わりかけなので, とりあえず内服の抗アレルギー薬だけにしておいた.その他, ネブライザーでの吸入も.現在の私の場合,風邪も合併している(脈が速くなるのは花粉症のせいではないはず)のだけれど, 風邪の方は放っておくことに.

夜はエス研.私が参加するのは今年度初の例会.新歓説明会を予定していたが, 新入生はだれも来なかった.事務的なことをしたり,雑談をしたり.


■2001/ 4/11(水)

某社から1次面接を通過したという連絡を受けたが, この企業は私の志望とは多少ずれていることに気づいたので, 断りのメールを送っておいた.

昼は,専攻のガイダンス.午後は,4回生の研究室紹介.Y 先生に「何かやることありますか」と聞いたら,「じゃあ K 研から4回生を引率してくれ」.K 研は新しくできた建物に移ったので,遠くて, 歩くと10分ほどになる.N さんに「やぶ蛇だったね」と笑われてしまった.

いったん帰宅.微熱.ここ2週間ほど体の調子が変だ.寒気がしたり, 反対に体中が熱くなって汗が吹き出したりする. お酒なんか飲んでいないのに軽い二日酔いのような感じだし.何とかしたい.

夜は専攻の新入生歓迎会.もともと参加することにしていたけれど, 面接が入ったのでキャンセルし,さらにその後面接が移動したので結局空いていた時間.N 先生に「ぜひ来てくれ」と言われたので,じゃあやっぱり参加することにしよう,と.実は M2 の人はうちの研究室からしか来ていなかったらしい……. 他講座の人たち(実は生物圏の人ばかりだったような気もする)といろいろ話せたので, よしとする.元演習林長の先生によれば, 芦生の長治谷方面とカヅラ谷方面との間は,遡るより流れに従って下る方が簡単らしい. それでも道がないし,渡渉する場所もいくつかあって,一人では無理だそうだ.


■2001/ 4/10(火)

淀屋橋から御堂筋線で北上し,新大阪で某社の筆記試験.

新大阪という街に行くのは初めて.なんか道路と鉄道ばかりで, あまりいい印象はなかった.

適性検査には SPI でない独特の試験問題が使用された. 実はマークシートでもなく手集計だったりするようだ.それと, 制限時間30分の「作文」があった.「あなたの心ひかれるものについて」 「当社での具体的なやりたい仕事について」など4個のテーマから選んで作文.英語の試験は TOEIC の点数で免除.

大阪への往復には,日経新聞を読まないときには, いつもエスペラントの読書をすることにしている.おかげでもう 竹内義一著『エスペラント会話教室[新版]』(気がきいているかもしれないがわかりにくい表現がたくさん載っているので初心者にはすすめられない本)は読了, 『くまのプーさん』(ルイス・キャロルほどではないが哲学的な問答が繰り返されるので, やはり初心者には不向きな本)もほとんど読了してしまった. 今日は日本文学翻訳もの.林 裕子訳 "La Stela Festo"(住井すゑ作, 原書題名「たなばたさま」)を1日で読み切った.泣ける. ごりごりしていないのがよい.文字が多くないのがさらによい(笑).

これで筆記試験は打ち止め.しばらく日程が空いているので, りくるうとこすぷれせっとをさっそくクリーニング店(カナート洛北に移転したエルムのもと店舗に入居したお店)に持ち込む. あらかじめ料金と別に50円を預けておき,仕上がりの翌日までに取りに行けば50円は返却, さもなければ没収というシステムらしい.

ある行事の申込書に「いつエスペラントの学習を開始したか」という質問があった. 適当に書いてもよいのだけれど,調べてみたところ, 99年9月20日(ごろ)だということがわかった. エス歴(って,変な表現だけれど)約1年半になるわけだ.


■2001/ 4/ 9(月)

久しぶりに研究室で過ごす.ミーティングが2件だけ.

企業という目の前の攻略目標がなくなると急に疲れが出るのか, 今日は一日中うだうだしてしまった. 4階にある研究室からの下りにもエレベーターを使いたくなるなんて,相当なものだ.

夕方からは早めに家に帰って,用事の電話をかけたりメールを書いたり. あまり食欲がなかったので,買い置きのキューピー「紅鮭クリームソース for PASTA」の缶を開け,スパゲッティにする.ゆでてあったなばなを加える. このパスタソースの缶詰は半額セールだったので試しに買ってみたもの. たまにはこういう加工食品も食べて味を知っておかなければと思って,最近, ときどきこういうのを買っている.味には全然期待していなかったけれど, 予想よりはましだった.でももし次に半額セールになっているのを見てもたぶん買わないと思う.

昨日グループディスカッションを受けた A 社グループ人事部からさっそく電話がかかってくる.このスピーディーさがなんだか A 社っぽい.A 社と B 社について選考を通過したとのことで,A 社は次回が部長面接,B 社は次回が役員面接だという.それぞれの会社の次回の日程を提示されたのだが,A 社より B 社の方が志望度合いが低いので,できれば A 社の方から先に面接を受けなければ,などと悩んでしまった.

リンクを現状に合わせて更新.

21時前就寝.きわめて異例.


■2001/ 4/ 8(日)

風が強いこともあった日.高野川の川面を流れる桜の花たちが美しい. 角裕介くんがラテン語・エスペラント対訳で書いた桃太郎ならぬ「チーズ太郎」の話を思い出してしまった. 角くんによれば,"It's Greek to me!" という表現はあっても "It's Latin to me!" という表現がないことでもわかるようにラテン語はそんなに難しくないらしいけれど.

大阪市内で某社の2次選考(書類選考の次の過程). 選考の方法はグループディスカッション.グループディスカッションは初めて. 6人の学生で,「今後のインターネットが普及していって社会はどう変わるか」というテーマについて20分. 面接官は3人だが議論には加わらない.

「年配の人などは, ネットが『使えない』のではなくても『使わない』ということもある. ちょうど,ビデオの予約録画機能を使おうとしないのと同じように」という提起によって議論の火蓋が切られた. 引き続いて「ネット上のコンテンツは英語で書かれたものが圧倒的.今後, 言語の壁はどうなるのだろうか」という(我田引水的な)論点を私が出したところ, この2つの論点が最後まで続いたのがけっこう不思議だった. もう少しいろいろと話が発展するかと思っていたのだけれど. 「英語以外の新しい共通語ができるのかも」などという怪しい発言もあった. ちなみに私は「ビジネスについていえば『使わない』のでは競争に負けてしまうので, 『使うしかない』. ネットと従来の通信手段との関係は電子レンジと蒸し器の関係にたとえられる. 家庭では電子レンジを使わず蒸し器を使って鶏肉を調理するのと同じように, ネットを使わず従来の通信手段のみを使っていても, そのコストは自分が負担するだけだから可能なのに対し, ネットなしの企業というのは競争力の観点からもはやありえない」という立場. 言語の壁については,「翻訳技術や新規言語による解決にはあまり期待しないものの, 英語一辺倒になるかというとそればかりでもなく, 西ヨーロッパや北東アジアといった言語的・地理的な近さを持つブロックの中で, ビジネスも含めて自国語による交流が促進される可能性にも注意すべきではないか」という立場.

なお参加者にはいったん就職してから大学院に入ったといった経歴を持つ人もいて, 全員が23歳以上.同じぐらいの年齢の人がいっしょになるようにという配慮があったのだろうかという声もあった. それだけにそれぞれの経験は多様で,聞きごたえのあるものだった.


■2001/ 4/ 7(土)

昨日今日の分をまとめてアップロード.そこそこ長いです.

10時から,京橋で某 IT 系大企業の筆記試験. しばらく空き時間があったので大阪市立中央図書館で韓国の『時事ジャーナル』などを読んで過ごして, 夕方,同社の1次面接兼説明.学生1対面接官1の面接. 「ストレスを感じるのはどんなときですか」という質問にはうまく答えられたけれど, 「あなたのこれまでの大学生活での成功経験と失敗経験について話してください」という質問には答えあぐねてしまった. 未来の成功や失敗についてはいっぱい考えるのだけれど, 過去の成功や失敗についてはあまり考えない(ことにしている)からだ.それは, 過去の成功や失敗について考えるのがとても重たいことだからでもあるし, 結局のところそれらの成功や失敗を積み重ねてきた現在の自分の状態というものをより大切に考える(比喩的・標語的にいえば, 「『歴史』よりも『現代社会』の方がおもしろい――歴史は変えられないけれど, 現代社会はこれから変えられるのだから」ということになるだろうか)からでもある.

それでうまく答えられなかったので,帰りの電車の中で40分ほど考えてみた. その結果はこうだ. 私のしていることの多くが何らかの達成目標に向けての取り組みである以上, その目標が達成できれば成功,達成できなければ失敗と考えてよいわけで, そうしてみると成功も失敗も山のように経験しているのだ,ということ. 最近でいえばもちろんエスペラント方面での取り組みは成功の部類に属するし, 失敗についていえばアパート選びには失敗続きだったのかもしれない. 学部時代の専門科目の勉強については成功したものも失敗したもの(=単位が取れなかったもの+身につかなかったもの)も両方あったのだと思う.

その他,「あなたは他人からどういう人だと言われていますか」という質問もやや困った. メタな話としては,「君は自分の魅力や値打ちについて気づいてない点が多いよ」と言われたことがある(余談だが, 他人の魅力や値打ちを発見することについては人一倍鋭い,と自負している)けれど, 個別的な特徴についてはいい点も悪い点も,あまり指摘された記憶が多くない.

こういうことは採用面接以外でも聞かれることがあるはずだから, きちんと考えられるように・きちんと答えられるようにしておきたいものだ. 逆に他人にこういうことをきちんと聞くことができるという才能というか, そういったものも手に入れられたら,もっといいと思う.

ということでうまく答えられなかったこともあったのだけれど, 感触は非常によかった.この会社に就職できたらと思う.

夕食は,あまり油っぽいものを食べたくなかったので,鶏胸肉をレンジでチンして薄切りにしたものと, なばなを柔らかめにゆでて切ったものをお皿に盛りつけて, からし・ナンプラーなどで作ったソースで食べた.手間がかからない割においしく, 成功だった.特に,電子レンジで調理すると火の通しすぎが防げるためか, 蒸し器で蒸すのに比べて肉がジューシーなまま保てるのがうれしい. ただ,ナンプラーにはいまひとつ必然性が感じられなかった. しょうゆ類に替えてもよさそうだった.


■2001/ 4/ 6(金)

昼,最高に晴れた青空の下,賀茂川で研究室の花見. 新しく研究室に来た人と話し込んでしまった. 私と同い年の女の子で,すごく頭がよさそうな人.東京出身ということで, 世田谷区はノリエット(名高い洋菓子店)などにもよく行っていたらしい. 研究室での活躍が待たれるところだ.お弁当は下鴨「福助」ので, 去年同様おいしかった.特に,煮物がよい.生麩が,普通の生麩と違って, ひたすらもちもちーってだけじゃなくて,ふわふわしていて歯切れもよくて, 特に気に入った.食後には出町「ふたば」のおだんご.赤いのは桜の葉の香り, 緑のはよもぎの香りで,春らしくておいしかった.このお店, 観光客などにも有名らしい.

午後,某 IT 系大企業のリクルーターの方たちと芝蘭会館で面談. 非常に感触がよかった.しかしこの時期,4回生はまだ研究室に配属されていないので, 本来はリクルーターに会いたかったのに,情報が流れていないので参加できなかった, という人もいるのかも.

夕方,京阪三条近くの居酒屋でこの企業のリクルーターの方たちと懇親会. この企業は事業部別採用なので,ちょっと普通の企業とは違ったところもあって, なかなか楽しかった.『話を聞けない……地図が読めない……』という本をぜひ読んだらよいと勧められた. 内容に対する賛否はともかく,今度読んでみたい.あと,ずっと前, サークルで知り合いになった理学部の人が来ていたので,ちょっとびっくり.


■2001/ 4/ 5(木)

なんかいろいろあった一日.

午後は,ミーティング.お題は,ハーバーマスの公共領域 (public sphere) について.

……本題はもっと計算機科学的なことだったのだけどね.

ミーティングの中身についてはともかく, 研究室というのは広い意味での人間関係が本当に複雑な場所だ. いろいろなことが同時に動いていて, 多様で細かいタスクが山のようにあって,それで全体が少しずつ動いている. それぞれの人が,それぞれの仕事と人とに微妙な影響力を及ぼしあっている. 委員会型の組織と違って,だれも全体を把握していないし, だれが何の担当でいま何をしている・何をしたいと考えているのかという情報は, 一人一人の頭の中にだけしかない. 人数が多い割にレポートラインがはっきり決まっていない,フラットな組織なので, 何かをしたいときにだれにどう話をすればよいかを決めるのには, 高度なノウハウが必要だ.人工知能の方でいう「黒板」みたいなものはなく, 情報の伝わり方はあまりよくない.みんな忙しくて,時間がもっとも貴重な資源. というか,「つまらないこと」をいちいち口に出さないというのが暗黙の前提になっている. 自分はこう思うからこうする,ではなく, 自分がこうしたとすると他人はどう思いどう行動するか, ということをまず考えてから行動に出なければならない. ほかの人も思ったことをそのとおり口に出すわけではないので, 他人がどう思うだろうか・思っているのかは結局推測するほかない.

ということで,無意識のうちにこういうことがわかっていて, 自然にそれになじめる人以外には,研究室はなかなかチャレンジングな場所なのだ. 最近は,いろいろな局面で「この人はこういう複雑な状況でうまくやっていくことをちょっと難しく感じているのだな」ということが感じられることもあって, 同情してしまったりもする.それにしても, こういう複雑な場以外で得た友人・知人というのは本当に貴重な存在だと思う.

ミーティング以外にも,いろいろとこまごまとした用事をこなす.

志望先企業の方から一本釣り的に会社説明のミーティングへのお誘いがかかって, 一も二もなく参加することに.


■2001/ 4/ 4(水)

京橋で某社の1次面接・適性検査.

学生2対面接官1の面接で,相手方は標準語・30前後・女性・非技術者. 今回もなかなか快適な(笑)面接だった.適性検査はもう何回かやっているので飽きてしまったけれど, こと面接についていえば,まじめに私を評価しようとしてくれているな,と. 面接はまず自己紹介・自己 PR で始まり,続いて研究内容(どちらも理系の修士課程の学生だったので)の説明. その後,この会社はエントリーシートをすでに紙で提出してあって, それに文字通り目を走らせながら,個別質問.もう一人の人は, 資格をたくさん持っているらしく,「どの資格を取るのがいちばん難しかった?」という質問があり, 「漢検準1級でした」と答えていた.なお,この会社は外資系でないので, 英語の能力は聞かれなかった.

おもしろかったのはそこからで,「ストレスを感じることって,あるかなあ?  そういうとき,どうやって解消している?」(なぜか面接官は終始敬語抜きだった)という質問. 私は「以前,将来が自分にとって好ましくない状態になるのではないか(たとえば, 電車に乗り遅れるのではないかとか,研究がうまくいかないのではないかとか)という不安が私にとって大きなストレスとなっていたものの, 思えば将来が自分にとって好ましい状態になるのではないかということも同様に考えられるのだし, それを期待して動けばよいのであって,過度に不安になるのは不要なことだから, やめよう,と考えた結果,現在では不安はそれほど大きなものでなくなった」と, 率直に最近の心境を語った.「企業ではものごとを全部自分で選べるわけではないので, ストレスで自分の人生をだめにしてしまってはよくない, と思って私は面接相手みんなにこう質問している」と面接官がコメント. 他社状況については,「他社はまだ筆記試験も始まっていなかったりするところが多いんですよ」と答える. 「もし(当社と他社から)複数の内定をもらったら,どうする?」という質問には悩んだ. とりあえず「高い水準の技術者のいる環境で自分を磨きたいので, 技術力が第1の判断基準,第2には,ある程度大きな資本力があった方が大きな仕事ができるかと思う. 日本でプレゼンスが大きく,国際的な仕事もしている会社がよい」と答えてしまったのだけれど, 後から考えるとちょっと率直すぎたかもしれない. その他,逆質問をする機会があったけれど,やはり OB・OG 訪問とは違ってなかなか本音は聞けないものだ.

夕食には暮しの手帖社発行の『おそうざい十二ヵ月』に載っていた「うなぎどうふ」を作ってみた. うなぎのかば焼きを豆腐にはさんで蒸し,吸い地を張ったお椀に入れて, 水にさらした針しょうがを載せる,という料理.ちょっと操作が複雑. 針しょうがはやはり針ほどには細く切れなかったし, うなぎは豆腐にはさむのではなく豆腐に載せる形になった.

食べてみると,豆腐がおいしいのでおいしい.それが手間に見合ったものかというと疑問はあるけれど, うなぎをはさむのでなく載せるだけなら手順が簡略化できるので, 多少手間は省けるかもしれない.

最近どうもデスクトップマシンの調子が悪くて(ディスプレイの調子が悪いのは前からだけれど), やっぱりノートでも長時間接続するなら PHS より固定の ISDN の方がいいよね,と.それでいま使っている外付け型 TA をノート PC につなぐためのケーブルを午前中に生協で買ってきて, 夜はそれを使って設定.1時間ちょっと時間がかかってしまった. 古いモデル(販売元はもうサポートを終了してしまっている)だしマニュアルが不適切だったのは確か.


■2001/ 4/ 3(火)

梅田で某社の1次面接.就職面接は去年の人事院の以来で, 民間企業の面接としては初めて.

3対1の面接で,相手方は西日本出身(推定)・40代ぐらい・男性・非技術者. やはり緊張はしたけれど,私についていえばきちんと言いたいことは言えたし, 楽しかった.最初に自己紹介・自己 PR を聞かれ,その内容などについて個別に質問され, その後「あなたのこれまでの人生の中でいちばん印象的だった体験, 成功体験や失敗体験など,を聞かせてください」という質問があって, また個別のやりとりが続き,最後に「自己 PR について補足があれば1分ぐらいでどうぞ」という質問があって終わり.30分ぐらい. エンジニア志望は私だけで,ほかの学生はどちらも第1志望 営業,第2志望 スタッフの人.それぞれ所属は産業社会学部と法学部の人で,自己 PR ではそれぞれ「バイタリティ」と「サービス精神」を PR していた.もちろん具体的なエピソードを交えて.それに対して聞かれていたのは, 「コンピュータは使えますか.(プログラミング)言語とかはどうですか」 「営業だったらいろいろな業界でできると思いますが,この業界で働こうと思った理由は何ですか」 「勉強してきたことを当社でどう生かしますか」といったこと. 私の方はといえば,個別的に質問されたのは「韓国語とかはどのぐらいの能力があるのですか」などといったことぐらい.

ところでこの韓国語の能力を問う質問,私はあまり資格とかは持っていないのでいつも答えに窮するのだけれど, 帰ってからいい答え方を思いついた.「英語よりは話せます」というのは,英語の会話能力に依存する答え方なのでうまくない. 「新聞があまり辞書を引かずに読めるぐらい」というのも,コミュニケーション能力をきちんと答えているわけではない. それで思いついたのは,相手の気分を害するリスクはあるにせよ,「いまあなたと話しているこのような会話だったら問題なくできます」と答えよう, ということ.実際,こういう多少コントロールされた状況・相手に「わかってあげよう」という意思があるような状況での会話だったら十分できるし, そうでない状況での会話はやはりできないこともあるのだから.そして, このような質問が発せられるときは普通,そういうやさしい方の状況なのだから.

面接があったのは梅田の北の高いビルの36階.雨で視界は効かなかったけれど, 展望がすごくよかった.

その後は,阪急三番街の地下でショッピング.神戸屋と COOK HOUSE でパンを買って,FERTA でブラックカラントのジャムとチェリーのジャムを買う.デンマーク製で無農薬・有機栽培の果実・砂糖を使用しているらしい. このお店はワインもなかなか品揃えがよく,かつ, コストパフォーマンスが高い.また行きたいところだ.

話変わって,六法というものには,普通,はがきが付いていて, それに切手を貼り,住所氏名を書いて送っておくと,追録というものがもらえる. 追録には通常国会でできた・改正された法律などが入っている.それで, 昨日買った有斐閣六法のはがきをさっそく返送しておいた. メールアドレス記入欄があったけれど,有斐閣からのダイレクトメールに興味はないので, 記入はやめておく.

その後またいろいろと.来週の研究室の用事が1件キャンセルになったので, ばたばたっとスケジュールが入れ替わって,専攻ガイダンス終了後のぞみで東京に急ぐ, というアクロバティックなことをする必要がなくなったのがうれしい.

おとといからサービスをスタートしたフュージョン・コミュニケーションズ. うちでも申し込んでいて,なんでも今月は10時間無料で通話ができるらしい. のっけから障害が報道されているようだけれど,通話品質はどうなのだろう, と思って,さっそく実家(名古屋)に電話してみたところ,全然 OK だった.こちら側わずかにエコーが発生しているけれど,了解性はいいし, 音質は普通の電話と同じぐらい.遅延は全く感じられず, もちろん通話の途切れもない.これで3分20円なら大満足だ.結局のところ, もし輻輳などが発生したら別のキャリアで電話すればいいのだし.

気をよくして東京の就職活動先に電話したところ, つながる前から大きな雑音がしだしたので,すぐに切って再ダイヤル. 今度は大丈夫だった.


■2001/ 4/ 2(月)

暖かくなった一日.もう花粉もあまり飛ばなくなって, 野に山に遊びに出たいころ.

生協で有斐閣六法と『年刊 パロディ版 BSD magazine』を買って,散財してしまう.どちらも最近発売されたものだけれど, この取り合わせで買うのはけっこう珍しい人なのかも. しかし六法はあまりにも大部だ.厚さが 15 cm ぐらいで,そんなに本棚の空きがあるはずもないので, とりあえず本棚のいちばん上の板の上の場所に置くことにした.

あるメーリングリストで,「社会化教室」という誤変換を発見. 一度目に読んだときは「ああ,社会科教室の書き間違いね」と読み過ごしてしまったのだけれど, 「社会化教室」というのはよく考えてみればすごい表現だ. 何かを「社会化」する方法を教育するということなのだから. あるいはまさにその教室で何かが「社会化」されるのかもしれない. どちらにしてもすごい.

今日の JMM (Japan Mail Media) は「10歳の小学生から、構造改革って何なの?  と質問されたら、どう答えればいいのでしょうか?」という質問に対する解答.東京三菱証券 IR 室シニアマネージャーの三ツ谷誠氏が

構造、と言うとなんだか難しくてソシュールやレヴィ・ストロースを思い浮かべる
かも知れないけど、簡単に言うと構造というのは「やり方」だと考えてもらうとそん
なに違わない。構造改革と言うのはだから「やり方を変える」という事なんだ。
などと答えているのが笑えた.ソシュールやレヴィ・ストロースのくだりは, 10歳の小学生には無駄な余談だと思う. ちなみにソシュールとかの構造主義については2ちゃんねるの過去ログに
こんなの(構造主義・ポスト構造主義)があった. 2ちゃんねるにしてはなかなかおもしろい内容.


■2001/ 4/ 1(日)

リサイクル市の日.物品の個数が900を越える,大規模なリサ市になった. 午前中は部門の責任者という中間管理職の仕事を割り当てられ, 午後はひたすら押し寄せる客の受付業務. 午前については,実は物品の回収などに全然関与していないこともあり, 物品の細かい分類などはあまりよく知らなかったりするのだけれど, ほかのスタッフのサポートもあり,大過なくこなせた.午後については, どう言ったらいいんだろう.去年は確か配送受付をしていたこともあり, 物品受付の方は久しぶりな感じ.リサ市では物品の対価としてではなく経費をまかなうためにカンパをお願いしているのだけれど, けっこうみなさん渋くて,数百円が大半だった.

今日は例年に比べて朝の冷え込みが激しかったため, 前夜に搬入してあった物品に霜がおりていた.物品が濡れてしまったほか, 物品に貼られていたメッセージカードも濡れてしまったのはちょっと残念だった.

スタッフの知人がペプシの懸賞に応募してペプシコーラサーバが当たったということで, 会場にはそのサーバが設置されていた.単に逆さになったペットボトルを支えていて, ボタンを押すと中身が出てくるという箱なのだけれど. そのサーバを使用して清涼飲料水を味見していたところ, 年初に知り合いになった文学部の先生が通りがかった.最近お見かけしていなかったけれど, 実際にお忙しいようで,今日も休日出勤なのだという. 文学部でも研究者として生きる道は険しいものなのだ,と思った.

12時の抽選開始から1時間ほどの嵐のような時間がすぎてしばらくして, 「おやつが食べたいよう」などとつぶやいていたところ, シュークリームの差し入れがあった.普通のシュークリームに比べて皮がしっかりした食感で, クリームもそれに合わせてか豊かな味わい.なかなかおいしかった.下鴨の La maison douce のシュークリームだということで, 今度このお店のほかの洋菓子も食べてみたいものだ.

夕食には,いちごとスパークリングワインの取り合わせを試してみようと思い立ち, スパークリングワインを買い求めた.カナート洛北に入っている「やまや」という酒屋さんは, ものによってけっこう安い値段をつけているのがなかなかよい. 買ったのはスペイン産のスパークリングワインで,多少強引ではあるけれど, 冷凍庫に入れて冷やした.ほかに食べたのはご飯,天然はまちあらの塩焼き, ゆず豆腐の湯豆腐,残りものの豚肉と野菜の炒め,にんじん菜のごまあえ, いちご.ワイン以外はごく普通の夕食.


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