7月16日(土)


3時ごろ目が覚めるものの,しばらくして寝入る.1日当たり3〜4時間の割合で順調に時差に追いついていっているようだ.7時過ぎ起床,8時過ぎ食事.やはりオレンジジュース,クロワッサン,いちごジャム,カフェオレ.フランスでも朝食は大陸式だけれど,こういった典型的な大陸式朝食は出されなかったと思うので,不思議なものだ.おもしろいのは,カフェオレ用の1人前の牛乳が密封容器に入っていること.日本のコーヒー用のクリームと同じ形で,少し底が深いプラスチック製の容器.「要冷蔵」とある.

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ノートルダム大聖堂 Basilique Notre-Dame(写真 84),旧裁判所(写真 85),市庁(写真 86),シャトー・ラムゼイ美術館を外から観覧.ノートルダム・ド・ボンスクールチャペル Chapelle de Notre-Dame-de-Bonsecours へ(写真 87写真 88).木彫とおぼしき祭壇,壁のステンドグラスのほか,19世紀後半のおそらくフランドルのものという十字架の道行きの油彩画,天井いっぱいに絵が描いてあって(写真 89),小さな船の作り物がいくつか吊り下げられている.港側から見ると,すごい高いところにマリア像が!(写真 90写真 91

この教会といえば,フランス統治時代当地で有名だったという「隠遁者」recluse,Jeanne Le Ber(1662-1714)という人の墓があって,リーフレットも置いてあった.富裕な商人の家に生まれ,幼いころから聖体に現在するイエスに引きつけられ,18歳で自宅で隠遁生活に入ることを親から許され,世間から引きこもり,ほとんど口を開かず,ミサに行くほか部屋を出ることはなかったという.33歳で修道院に入り,祈りと休息のほかは刺繍をしたり貧しい人のために働いたりしつつ,聖性の評判高い中,52歳で生涯を終えたのだという.日本にもよくいる,郷土の偉人というカテゴリーに属する人なのだろう.人格者だったのかもしれないけれど,いまこんな人がいたらニートと呼ばれるに違いない.

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ボンスクール Bonsecours 市場へ.服とか家具とかインテリア用品といったスタイリッシュな商品を扱う店ばかりが並ぶモダンな空間である.昼食は舌平目.食後の紅茶に,朝出されたのと同じ一人用ミルクが出てきた(写真 92).

ノートルダムに戻る.こちらは薄暗く大規模な教会堂で,脇に祭壇がいくつもあってその上は2階席になっているので,教会堂の手前部分のみならず両側面も2階建てになっていて,さながら劇場のよう(写真 93).主祭壇は大層凝ったつくりで,壁画・ステンドグラスもとんでもない量が使用されている.すぐ裏にはサクレクール・チャペル Chapelle de Sacré-cœur があって,こちらは太陽光を採り入れた近代的な教会堂だった.

地下鉄でモンロワイヤル駅 Mt-Royal まで.サンドニ通りの Rockaberry へ.アップルパイ tarte aux pommes にアイスクリームを付けてもらって,それとカフェオレ.パイもアイスクリームもしっかり甘くてアメリカ風の大ぶりなスイーツである(写真 94).でもおいしい.

夕食は,宿の近くの Station Centrale(長距離バス発着場)のカフェテリアでベーグルなどで簡単にすませる.近くに dépanneur と名乗る店があって,自動車の修理工場かと思っていたら,ワインとかも置いている雑貨屋さんなのだと知る.

ここまで,旅程のほとんどを仏語でカバーしてきたのだけれど,仏語の大変なのは,そんなに込み入った話でなくてもあらかじめ単語を調べたり頭の中で文を組み立てたりして準備しておかないといけないところ.英語ならそういった不便さはない反面,特に米国では相手の返事が聞き取りにくいことがときどきあるので一長一短である.