みしっく今日のひとこと - 2013年1月


■2013/ 1/27(日)  「使えない世代」とは手厳しいが.

作家の佐藤賢一氏が東京新聞生活面に連載しているコラム「不惑の迷い言」で,「使えない世代」と題して論を展開している(22日付朝刊21面.なお蛇足ながら俵万智氏の「木馬の時間」や池田省三氏の「ステージ4 がんと生きる」などのコラムと順繰りに,数週間に1回の頻度で連載を続けている模様).

いわく,「いわゆるイクメン」の担当編集者に当たって,「働いてくれな」くて歯がゆい思いをしたことがある,仕事でかかわる編集者だけではなく,幼稚園や学校の先生も.「保険の営業マンでも,ノルマ以上のことはしたがらない」.「全幅の信頼がおける仕事人というのは,独身者か奥さんが専業主婦という向き,あるいはもう子どもは大きい50代以上だけだったりする」のだという.氏自身がかつてイクメンだった経験からしてもそうであるらしい.そこで,「30代から40代は子育て世代なのだから,仕事では使い物にならないと,端から了解するべきなのだ」というのが主張.

はなはだ手厳しい.

仮に氏の主張が正しいのだとすると,子育てを開始→仕事の成績が低下→仕事を失う,といった帰結も生じかねない.限られたパイを分け合う以上,基準より効率の劣る者が分け前にあずかれないというシステムは,当否はともかく,一応合理性があるし,それが世の習いであることは理解.

子育てをきっかけとして職を失った人が,賃金水準はさておき,これまで培った技能を生かし,伸ばせて,人間らしく働ける職場に円滑に再就職できるような仕組みを作っていくことが必要なのではないか.これは,子育てだけでなく,親の介護や自身の傷病についても当てはまると思う.連合の掲げているスローガン「働くことを軸とする安心社会」というものが実現されたあかつきには当然実現されているべきことの一つなのではないかと思う.

もちろん,子育てなどで職を失わないことが可能な場合もあるし,それはその方がよいのだと思うけれど.

(2月9日追記)2月8日付朝刊(18面)に,読者から多くの反論を含む反響が相次いだとして,佐藤氏に真意を聞くインタビュー記事が掲載された.記事の掲載サイズは元のコラム「不惑の迷い言」と同程度.「使えない」という表現について,氏は「確かに触れないほうが無難.利口な上司は『人生は仕事だけじゃないから』と優しく言うでしょう.でも,採用や昇給,人事ではしっかり峻別してるじゃないですか」と意図を説明している.このような形でコラム筆者に対するインタビュー記事を掲載するのは異例.

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■2013/ 1/26(土)  団地の追憶

原武史『団地の空間政治学』(NHKブックス,2012年)を読んだ.

労作である.住宅難の1950年代末から1960年代終わりにかけて,日本住宅公団が東阪の郊外に続々と建設した団地を住まいとした人々の切実な要求,ことに交通事情の改善や,保育園・幼稚園の設置,団地内のスーパーや牛乳店の品質・価格の改善といった要求の実現を目指した苦闘を描き出している.冒頭では皇太子夫妻が渡米前の勉強のためにひばりヶ丘団地(現在の西東京市に所在)を訪問したことを,同団地のミニコミ紙上の「一人の居住者は高家賃に悩み,共益費の使途も知らされず,保育所がほしいと訴え,高い豚肉をやめてサンマを食い,遠い勤め先に高い交通費を払って通い,そして,つかれてだまっている」という声と対照させて取り上げ,また香里団地(枚方市に所在)を著名な哲学者サルトルとボーヴォワールが訪れたときの記事を複数引用するなど,よく調べて書かれている(ボーヴォワールは「一般的に,日本人は劣悪な住居に住んでいる.大阪近郊の公団住宅に,ある教授のアパルトマンを尋ねたとき,私はその狭苦しさと醜悪さにびっくりした」と述べている(82ページ)という).1965年に発覚した東京都議会のいわゆる黒い霧事件について,これに端を発して多摩平団地の自治会が都議会のリコール運動に取り組んだことなど,団地住民の政治意識の高まりがあったことを描く一方で,1970年代には,高層の巨大団地である高島平団地(板橋区に所在)に端的にみられるように,団地というコミュニティよりも「私」の生活を優先させる個人主義が台頭してきたとも述べる.また,多摩ニュータウンの公団諏訪団地に住んでいた浅井民雄が,自家用車の普及により「いろいろな地域住民の生活の問題の解決を,個人の力の範囲内だけにとじこめてしまうような心が生れてくる」「車を媒介として地域社会の対話がなくなり,人間的な信頼感がなくなつていくなら,この便利なもの――自動車は廃棄されなければならないものではないかと考えます」と述べている(「“車を捨てよう”――多摩ニュータウンに住むY君への手紙」と題して,雑誌『丘』第3号に掲載されている由)というのは興味深い(2000年代であればともかく,1973年というのは非常に早い).

主に取り上げられているのは,香里団地,多摩平団地,ひばりヶ丘団地,常盤平団地,高根台団地.それに,高島平団地,滝山団地,草加松原団地,多摩ニュータウン,千里ニュータウンその他多数の団地が取り上げられる.

「中層や低層の同じような棟がいくつも並び,公園や遊歩道には子供たちの喚声が響き,商店街やスーパーは買い物カゴをぶら下げた主婦でにぎわう」(283ページ)という団地の風景は過去のものとなった.もう半世紀ほど前になる先人たちが掲げた要求のうち,一部は解決している(一例として,豚肉とさんまの価格差は相当縮小していると思われる)ものの,大半はまだ道半ばであるだけでなく,高齢者福祉,災害対策などの新しい要求も出てきているはず.団地住民などの都市住民による取り組みはいまなお求められているに違いない.

そもそも,都市中心部からはるか遠く離れた場所になぜ多数の集合住宅を作ったのかといった点には,ほとんど言及がない.おそらく別の書物に譲るべきということなのだろう.

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■2013/ 1/14(月)  RC造を学ぶ.

原口秀明『ゼロからはじめる「RC造建築」入門』(彰国社,2008年)を読んでいる.私自身も住んでいるRC造建築について,構造の基本から細部の仕上げまで,バランスよく概説している本.何しろ建築というのは工学だから,耐震性・耐火性・断熱性・遮音性などいろいろな性能とともに採算性をもバランスよく備えないと,よい作品にはならないし,同じものは二つと作らないにしても,大量に生産される物でもあるので,過去のいろいろな経験を踏まえておのずとこうなるという「型」が存在するというもの.そのあたりがよく理解できる.

土井法律事務所(宮城県)のブログで2010年5月19日同年10月5日の記事を興味深く読む.県弁護士会の役職にも就かれるようなベテランでありながら刑事弁護なども多く手がけられているようで,その実践の中で「平成10年問題」という考え方を考案されている由.「自殺、失業率、犯罪認知数、自己破産、離婚、児童虐待等社会病理の数字が、平成2、3年ころから上昇を始め、平成10年には、それまでと違うステージに立つような状態となり、平成14年、平成15年ころピークとなり、以降漸減するものあるけれど、依然平成2,3年の状態からすれば、異質な高止まりにある状態」をいうとのこと.

平成10年といえば,1998年.新規学卒者の就職難は深刻だったけれど,いわゆる若年雇用問題とか,ロスジェネといった問題としては社会一般に認識されていなかった.なので,氏が「平成10年問題」として提示されているのは,一つには,雇用の面で中高年に対する処遇が厳しさを増してきた(端的には解雇されるというようなこともずいぶんあった)のがこのころだったというのが原因なのだと思う.

当地では初雪が降り,鉄道など交通に大きな乱れ.明日の出勤は時間に余裕を持って,また足元も雪や氷で滑らないような対策をしていく必要がありそう.

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■2013/ 1/12(土)  新京報の記事.

今週のニュースといえば,やはりこれ.日本のマスコミでも多く報道された,新京報が1月9日付で掲載した「南方的粥」.記事の冒頭を紹介.

一碗热滚滚的砂锅粥,来自南方大地,刚端上桌时,粥还在里面翻滚,它似乎也有一颗勇敢的心,在寒冷的夜里,张嘴都是白气,尘世折腾,惟有温暖与这碗粥不可辜负。
据说今年是近几十年最冷的一个冬天,环球同此凉热,从南到北,如同一个人,从头顶冷到脚心。最难将息之夜,有什么食物能送来一点温暖的慰藉?
反正我最先想到的是一碗热气腾腾的粥,最好是南方的砂锅粥。
粥有南北之别,北方喝粥多半简单朴素,花样不多,最典型的是腊八粥,再过些天都能在满大街小巷吃到了。(…)
而到了南方,粥的品种顿时花样繁多起来,只在广东,就有广东粥和潮汕粥的区别。广州最典型的粥是艇仔粥,在北京的不少粤菜餐馆里也常见。

生活面に掲載されるグルメ記事だけあって,冒頭から食欲をそそられる表現が並ぶ.中国は国土が広いから,南北ではお粥にも違いがあるし,南方ではお粥の種類がはなはだ多いのだと知る.数十年に一度という冷え込みなどの世事や,北京にいながら南方式のお粥を食べられるお店の紹介も盛り込みつつ,微に入り細をうがつようなお粥の味や材料の描写が,迫力に富んでいる(解読するほどの語学力がないながら).

一碗のお粥が「南の大地からやってきて卓上に置かれる」とか熱いお粥がまだふつふつと沸騰しているさまを「勇敢な心を持つようでもある」(と訳して合ってるんでしょうか)と表現するあたりは,白髪三千丈のようなものと思えばいいのだろうか.添えられた潮汕式「お粥の友」の写真も気に入った.

ところで,記事によれば北方には「臘八粥」(腊八粥,làbāzhōu)なんていう習慣があるという.調べてみると,旧暦12月8日にこのお粥を食べる習慣があるのだと知る.日本では臘八といっても,禅宗で厳しい修行をするということぐらいしかないのだけれど.これとの関連は不明.

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■2013/ 1/ 7(月)  リーダーシップの6つのステップ

New York Timesに1月5日付で掲載されたインタビュー."The Six Steps of Leadership (Plus Courage)"と題して,Adam Bryant氏がG.J. Hart氏(California Pizza Kitchenというピザチェーン店の執行役会長兼CEO兼社長)に,リーダーシップに関するインタビューをしているので紹介.

Hart氏は,リーダーとして求められる素質は以下の6つのステップ(それに勇気)だ,と述べている.上の方は難しくないけれど,下の方に行くに従って,言うは易く行うは難しになる.

  1. 一人称で最善を尽くす
  2. 大きな構想を描く
  3. 仁愛をもってリードする
  4. 部下や同僚を信頼する
  5. 常に正しい行動をとる
  6. 目的を自分の上位に置き,完遂する気概を示す

詳しくは記事を参照ください.

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■2013/ 1/ 6(日)  成文憲法を持たない国

Timeの少し前の号に,Ayman Mohyeldin氏が"Analysis: Who’s Afraid of the Egyptian Constitution?"と題してエジプトの憲法制定過程に対し肯定的な立場からの分析を行っている(ウェブ掲載は2012年12月5日付,紙版は2012年12月24日号).

その中で傍論ながら,"It's also worth noting that many functioning democracies, including the United Kingdom, that have no explicit constitution. A constitution does not ensure the state will abide by it nor will it prevent a dictatorship from emerging."と述べている.2文目は誰しも同意できることだろうけれど,1文目に引っかかるところがあった.日本では,不文憲法を有する国として連合王国以外の例があげられることがないからだ.バチカンには成文憲法はないだろうけれど,民主政の国ではないし.サンマリノ?確かに憲法なさそうだけど,あれも特殊だしなあ,その他英連邦に例があるかどうか,などと考えつつ,家に帰って調べてみた.

Wikipediaの記事(英語版がよい.日本語版は要改稿)を見ると,連合王国のほかには,functioning democracies that have no explicit constitutionの代表例としては,ニュージーランドとカナダがあげられる模様.イスラエルも仲間に含めてよさそう.サウジアラビアは民主政でないので含まれない.サンマリノは,上記のWikipedia記事には言及がないが,成文憲法を持たない共和国のようだ."many"かどうかは微妙だけれど("several"あたりが穏当か),それなりにあるものだと.

ジェニファーの こんにちは vs Bonjour白ご飯に合うフレンチ - 4 -牛肉の赤ワイン煮込みを参考に,牛すね肉の赤ワイン煮込みを作ったのでおぼえがき.

厚手の鍋を使用.玉ねぎは粗く刻んで油で炒め,牛すね肉と赤ワイン(187mL)を投入.塩こしょうを適量,ローリエを1枚加える.焦げ付かないよう水分を多めにし,2時間ことこと煮込む.途中でにんじんをシャトー切りにして加える.最後にじゃがいもの一口大に切ったのを加えて火が通れば出来上がり.よくフレンチの定食屋などでBœuf braisé au vin rougeと呼んで出される味わいになった.

さすがに総加熱時間2時間というのはきつい(鶏手羽元の1時間は何とかなるけれど).過去の日記を検索してみても,自前で牛すね肉に火を通す作業をした記録は見当たらない.圧力鍋があれば簡単に作れるのかも.

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■2013/ 1/ 4(金)  政治小説

三橋貴明『コレキヨの恋文―新米女性首相が高橋是清に国民経済を学んだら』(小学館,2012年)が衆院選の投票日ごろに届いたので読んだ.

高橋是清は,戦前の日本にあって,積極的な財政出動によって経済を立て直すなどの功績で知られる.著者の政治的見解(公共事業の拡大,TPP反対,日銀法改正,社会保険料・税の徴収機能を内閣府の外局に移す,年率4%のインフレターゲットの設定,防衛費の増額)は,激しく賛否が分かれるところだけれど,1920年から1936年にかけての経済・社会の状況と,1990年から今日にかけての状況とは類似するところが多いというのはもっともで,幸田真音氏が2011年11月から昨年12月末にかけて,高橋是清の生涯を描く新聞小説「天佑なり」を連載していたのも,同じ認識に立つものだろう.

高橋是清は日銀による国債の直接引受け(とはいっても,持ち切りにしたのではなく,大半を後日市中で売却したらしい)を本格的に実施し,国債を円滑に消化させることにより,経済対策のための資金をまかなったものの,その後の日本は,大変な戦争に突入しただけでなく,大幅なインフレが生じ,社会的な不公正を招いた(物価の上昇幅は,Wikipediaによれば約100倍であり,ハイパーインフレの域には達していないというが,それによって生じた混乱の数々は記憶に新しい).そういった負の歴史は繰り返さないようにしていかないとならない.

公共事業の拡大といえば,最近でいうと小渕内閣.野菜のカブを持ち上げながら,「株上がれ〜」というパフォーマンスをしたのが記憶に残っているけれど,赤字国債発行による公共事業の拡大が,雇用拡大や格差縮小という効果をもたらしたのかどうか.当時は就職難が続いており,京都に来た経済評論家が,一連の公共事業により「景気が回復するには至らなかったが,経済の下支えの効果があった」という苦しい弁解をしていた記憶がある.

新政権の下,年率2%のインフレターゲットが設定される見通し.思うに,実際に物価上昇が生じた場合には,速やかに最低賃金に反映させることが,国民の生活を守るためには必須.また,株価の上昇はともかく,地価の上昇は食い止めなければ住生活に深刻な影響をもたらす.

高橋是清時代には,積極的な財政出動が失業対策につながったのだけれど,最近の米国の金融緩和政策が雇用の増加に結びついていないことからすると,日銀がインフレターゲットを設定したとして,実際に物価を上昇させることに成功したとしても,それが雇用拡大・個人消費の増加という効果をもたらさなければ,無益なものとなってしまう.単に物価が上昇し,それに伴って名目GDPが増加するだけであれば,何のためのインフレターゲットかということになる.

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■2013/ 1/ 3(木)  新年

明けましておめでとうございます.今年もよろしくお願い申し上げます.

昨年は,社会全体もさることながら,ICTの世界でもことのほか著しい変化のあった一年だった.一例として,年配の人を中心にスマートフォンが急速に普及した.私はというと,相変わらず多忙をきわめていて,振り返る暇もゆとりもないのが実態だった(「贅沢な悩み」という見方もできるけれど…).

今年もさらなる激動があるのかどうか,注目していきたいところ.

マーク・グラノヴェッターという社会学者が,「弱い紐帯の強み」"The strength of weak ties"の説を唱えたのは,はるか40年前だった.親類,親友,同僚といった,類似性の高いつながりよりも,共有するものがあまり多くない知人とのつながりから,個人はさまざまな機会を得ることができ,この「弱い紐帯」は,コミュニティへの統合にとって不可欠なものなのだという.私も,仲間内に閉じた交流に終始するのではなく,私にはあまり接点のない分野の知見をもたらしてくださる皆さんとのコミュニケーションに力を注ぎたいと思う.

地元の議員さんで,暮れの衆院選で落選した結果,「数年ぶりに家族水入らずで新しい年を迎えました」なんてつぶやいている人がいて,何とコメントしてよいのか迷ってしまった.

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