みしっく今日のひとこと - 2011年1月


■2011/ 1/26(水)  「柊」の字体についてメモ.

「柊」(シュウ,ひいらぎ)の字体について.

長く生きていると,古い本や新聞(といっても30年〜40年程度昔に出版されたものぐらいだけれど)を目にして,その字体を記憶していることが多いもので.

最近はこの字のつくりを「冬」のように表記するのを見かけるようになったので,なぜかと思って調べてみたところ,83年JISでの例示字体変更と,90年の人名用漢字への追加時に旧来の字体と異なる字体が追加されたことが原因と判明.詳細は以下の通り.

もともと「冬」と同様に,最後の2画は冫に作っていた.「冬」は当用漢字に採用されたので,当用漢字字体表で,最後の画を右下方向に書くことになった(旧字は戸籍統一文字019250,現在の字体は戸籍統一文字019270).

柊は,JIS C 6226:1978の例示字体では,右下を冫に作っていた(GlyphWiki).JIS X 0208:1983では例示字体を「木冬」に変更()し,JIS X 0213もこれを踏襲.JIS X 0208やJIS X 0213の包摂規準によれば両字体は同一の符号位置に包摂される(両方の字体を同一のコードで表す).

この字は1981年告示の常用漢字,2000年答申の表外漢字字体表や昨年告示の新常用漢字にはいずれも含まれていない.人名用漢字に1990年に「木冬」の字体で追加された.戸籍統一文字番号では165370.最後の2画を冫に作る方は,戸籍統一文字番号164590が割り当てられている(こちらの字体は名にはまず現れないはずだが,氏とか,戦前生まれの人の名とか地名に含まれているために使われることもあると思われる…).

なお,法務省の戸籍統一文字情報サイトでは前者のみにUnicode・シフトJISコードが表示されるが,JIS規格に忠実に従えば,両字体とも同一のシフトJISコードに対応するので,前者は「シフトJIS 9541の例示字体」,後者は「シフトJIS 9541に包摂される」と表示する方が誤解を与えないはず.

なんだか会社法に詳しくなった気分.

会社法は数年前に施行されたばかりとはいえ,商法時代からの長い判例の蓄積もあり,いくつかの演習をこなしていくと,株主や会社の機関,債権者の間の利害関係を規律するというこの法分野の特性がつかめたような気分がして,うれしいもの.

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■2011/ 1/24(月)  良寛に学ぶ.

入試の時期.震災の記憶の新しい時期でもある.

江戸時代後期の曹洞宗の僧侶,良寛の言葉として,「災難にあふ(あふ)時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」というのが知られているけれど,それほどの悟りの境地に到達することができる人は少ないのではないか.常日頃からよくよく心がけていても難しいことだと思う.毎日毎日の生活の中で,時間という稀少な資源を浪費してしまったり.

「常日頃」の「頃」が常用漢字に入ったので,今回からこの字のかな書きをやめることにした.

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■2011/ 1/23(日)  노영심

노영심(Roh Young-simと綴るらしい)の「학교 가는 길」と「그리움만 쌓이네」を鑑賞.前者は이루마,김광민とのピアノ連弾・競演で,後者は心変わりした恋人への思いを歌う演歌っぽい曲(여진(本名: 남궁은영)が1985年に出した曲であるらしい).

노영심といえば,「별 걸 다 기억하는 남자」の影響で,コミカルなK-POP(当時はこの用語はなかった)の歌い手だというイメージを持っていたのだけれど.Wikipediaによればピアニスト・タレントとしての活動もしている模様.いままで想像していた以上に活動範囲が幅広いのだと知った.

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■2011/ 1/ 4(火)  ジャーナリスト烏賀陽弘道さんが体験した警察の横暴に,戦慄.

新年明けましておめでとうございます.今年もよろしくお願い申し上げます.

一部で知名度の高いジャーナリストである烏賀陽弘道さんが,12月24日昼過ぎに自転車に乗っていて因縁をつけられるという被害に遭って,身の危険を感じて110番通報したら,逆に被疑者扱いされてしまい,6時間に渡って警視庁築地署で横暴な取調べを受けたあげく,DNA標本の取得を強要されるなどの被害を受けた経験をまとめたのを遅ればせながら読んで,戦慄.

「自分が経験すると「怖い」「心身とも疲弊する」としかいいようがない。人の家が燃えているのを取材するのと自分の家が燃えるのは話が違う。」との感想には迫真性がある.

「スターリン時代のソ連か朴政権時代の韓国みたいな事実が2010年の東京築地の繁華街(銀座もすぐそこ)で起きていた。これは日本なのか?」とも.スターリン政権時代のNKVD(警察や秘密警察などの上部機関)は,下手に事務所に出かけていくと逆に犯罪者に仕立て上げられてしまうということで知られるようになったのだけれど,現代であれば,フィリピンかメキシコの警察に匹敵するような怖さがある.警察官の行動を監視し審査し非違行為に対して処分を下す機関というのは実質的に存在しないわけでして….

これは国賠訴訟を提起して,その中で真実を明らかにしていくのがよいのではないかと思った.

「通行人の中には、事件を見てもいないのに制服のお巡りにかけよって「こいつが悪いんです!見てました!」「お前、おれは見ていた!」と言うオッサンが2人いた」「あのいい加減な「目撃者」が警察でうそ証言をしたらどうなるか」「駅のちかん冤罪なんかでも、こうして誰にも頼まれてないのに「目撃者」役を買って出る歪んだ自己顕示欲の持ち主はいるのではないか。そういうのにあおられて警官らがますます事実誤認していくのだろう」という証言も貴重.自称目撃者の「証言」は証拠としての価値が低いことがままあるということを実証していかねばなるまい.

今回の事件を受けて烏賀陽氏が作成した「制服警察官の権力濫用被害に遭わない知恵」は,いくぶん正確さに欠けるものの,大いに参考になるので全文引用させていただくことにする.

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