みしっく今日のひとこと - 2001年8月


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★ひとこと目次 ◎ほーむ


■2001/ 8/31(金)

平和な研究室の昼下がり.先日入った部屋の内装工事の間中,中国人アルバイター G さんの PC が一時移動してあったため, それを元の場所に設置して使えるようにする仕事を引き受けた. それとおぼしきマシンを Gさんの机に移動させ, コネクタ類をつないで電源を入れてみると,Ether のカードがネットワークブートしようとして失敗して止まってしまう. ハードディスクが入っていないのだろうかと不審に思い,まずは「G さんの PC は同じブランドの別のマシンなのではないか」という可能性を考えて同じブランドのマシンを探してみたものの, 見つからない.では,ということでふたを開けてみると,果たして IDE ケーブルが接続されていなかった.これではブートできるわけがない.FDD のケーブルもきちんと接続されていなかったので,それぞれ正しく接続し直したところ, めでたく動作するようになった.噂によれば私がいない間に別の人がふたを開けて作業をしたということなので, たぶんそのときに接続を不完全なままにしてしまったのが原因なのだろう.「PC をいじったら必ず簡単な動作確認をしましょう」というのが教訓ですね.

hysd さんがいつもどおり唐突に「Y 先生,帰りに寝台列車かフェリーに乗ってもいいですか?」と叫んだ. 科研費で函館に行くらしく,行きは関空から飛行機なのだけれど, 帰りは寝台特急〔日本海〕に乗ってみたいのだそう. ちなみにフェリーに乗るプランは,函館から青森にフェリーで渡って, そこから〔日本海〕に乗るというもの. なるほど運賃・料金の合計は単純に函館から〔日本海〕に乗るより安くなるのだけれど…….

ちなみに関空への行き方は,最近の私はもっぱら〔はるか〕なのだけれど,hysd さんは南海特急〔ラピート〕と,渋い選択をする.国内旅行なら荷物も軽いし, 南海も確かに魅力的だ.

それはさておき,最近の私は国内交通の研究に凝っている. 視点は「ビジネス客ならばどうやって旅行するのか」というところにある. 都市から観光地へのトラフィックではなくて, 人口の多い都市同士を結ぶトラフィックの動き方を頭の中でいろいろシミュレートしてみたりしている. ものの本によれば,米国では20世紀中ごろまでに鉄道から航空へのトラフィックのシフトが完了し, それによってアラスカ・ハワイを除く全土の主要都市が1日交通圏に含まれることになったのだそうだ. 日本は国土が狭いし新幹線があるので事情が違うけれど, 最近は日本でも飛行機がずいぶん便利になってきているので, 飛行機と鉄道とを比較検討することは絶対必要なことだ. フェリーは安くて楽しいけれど,時間がかかりすぎるし, 夜行バスもいまひとつ快適でないので,選択の範囲からははずしてよさそう.

いろいろ考えてみると,京都からは東京を越えて東日本に行くのが難しいようだ. 鉄道でうまく行く方法がなかなかない.長岡・新潟方面,秋田・青森・函館方面はそれぞれ〔きたぐに〕〔日本海〕で行けるのだけれど, 東北本線方面は頭をひねってしまう.反面,福岡・熊本方面は東京からよりアクセスがよく, 新幹線でも夜行でも飛行機に比べて見劣りしない. 広島・高松なども東京からなら飛行機になるところだろう. 沖縄・北海道はどちらも飛行機になるので特に考えることはなさそう.

ただ,飛行機は鉄道に比べて燃料を多く消費するので, その環境負荷をどのぐらいに見積もったらよいのかは微妙なところ.おそらく, 環境団体のスタッフが出張に使う交通機関を選ぶ, などというシチュエーションでは判断が鉄道側に寄るのだろう.


■2001/ 8/30(木)

朝,ある資料を探すため,古いレジュメなどの整理をした. リサ市のシフトとか「やったね袋配布シフト」など, それに横大路見学会の感想文など読んでみると,懐かしい顔ばかりが浮かんでくる. なぜか勉強会で取り上げることになった槌田敦『エコロジー神話の功罪』も懐かしい. 暮しの手帖の記事「揚げものの油は何回でも使えます」や「飲料缶にデポジット制を導入しよう」(どちらも2世紀79号)は今昔の感がある. それに,国際協力ゼミの学習会「アジア・ハイウェイ」「アジア通貨危機のメカニズム」.もう韓国は「IMF 卒業生」(IMF を脱退したのではない.念のため)になった時代だし,アジア・ハイウェイもここのところ音沙汰なし.

結局,求めていた資料は見つからなかったのだけれど.

その資料に代わる資料を吉田下大路町の友人の家まで届けることに. なかなか目指す地番が見つからず,結局住宅地図を見てようやくたどり着いたところ, 「○○様方」との方書きがある住所だけに,友人名での表札は出ていなかった. 無事届いているといいのだけれど.

夕食は,買ってきたさわらの白しょうゆ漬けを焼いたのが主菜. いわし・さば削り節でだしを取っておき, 八ヶ岳山麓から持参したみょうがを四つ割にして豆腐といっしょに諏訪産の信州みそでみそ汁に. 残っただしで白菜を煮て,ナンプラー・砂糖で味を整える(ナンプラーを入れているので, 本当はだしが入ってなくてもよい).ちょっと季節を先取りしすぎた感はあるけれど, 私の好みにしっくりくる献立になった.

先ほど博士論文の公聴会を終えた S さんをはじめとする研究室の3人の人たちがヨーロッパに旅立ったのはおとといのこと. いまごろどうしているのだろう,どんな料理やお菓子を食べているのだろう, 写真たくさん撮っているのだろうか,帰ったらいろいろ聞きたいことがたくさんあるし, うまくいろいろ話を引き出せるような聞き方もこの前身につけたもんね:-), などと思いをめぐらしつつ,夕食をとった.


■2001/ 8/29(水)

夜,ふと押し麦の袋を見たら,黒い小さな粒がいくつか動いているのが見えた. 虫だ.

さっそく麦を紙の上に広げてみると,推定20匹ほどの虫が. 卵まで産みつけられていた.まったく冷静でいられたのは,麦が残り 700 g ほどしかなかったこと,隣に置いてあった米には虫がついていなかったことが理由なのかもしれない. 虫を追い出すことは不可能ではないけれど, へたなことをして米の方に虫が入ってしまっては困るので, 思い切って袋ごと燃えるごみに出してしまった.


■2001/ 8/28(火)

リプトンのオレンジ・パッションフルーツ・ジャスミンの香りをつけた緑茶を実家からもらってきたので, 飲んでみた.ジャスミン茶はおなじみだけれど, パッションフルーツの香りがするお茶というのは新鮮な感覚で,なかなかよい.

夕食は,「サンノジ」とラベルに書かれた魚を生協で買ってきて, 煮付けにした.こってりして深い味わいで,7月8日の「チビキだい」同様, とてもおいしかった.この生協にはどうやら「マイナーな魚が安くておいしい」という法則があるようだ.

夜,ヨーロッパ旅行関連のクレジットカードの請求を売上票の控えと照らし合わせた. 今月請求されたものについてはどれも金額が合っていることを確認したのと同時に, まだ請求されていない分も数件あることが判明. 合わせるとやはりけっこうな額になってしまった. 年内はもうお金を使わないようにしなければ.


■2001/ 8/27(月)

帰洛.

郵便局で La Junuloj の海外発送分を印刷物扱いで出す. 郵便局の職員さんによれば「相手国の税関で検査するため,開けて再び閉じられる包装にして出してほしい」とのこと. 普通の角3封筒(B5 がちょうど入るサイズ)で出すように用意してあったので, その封筒のふたの部分を内側に折り込んで,セロハンテープで端を止めて出した. 重さを量ったところ 64.5 g になって,相手国によって料金が違うのだけれど,9通発送して合計1,960円.

1か月以上手をつけていなかった研究の方のコーディングを再開. まだあまり慣れていない処理系で作業しているということもあり, どこがどうなっているのか,これからどうしたらいいのか,など, すっかり忘れてしまった.ソースをプリントアウトしてよく読んでみることに.

夕食は押小路通東洞院西入ルのベトナム料理店「フォーン ヴィェット」(1800 - LO 2130,Tel 075-253-1828,「フォーン・ビェット」でも検索してみるとよい)で. とりわけ蒸春巻がおいしかった.具は春巻の具で, 皮は箸で持ち上げると崩れてしまうぐらいやわらかくてとろりとしていた.

久しぶりに弟に電話して,民法総則とか中間法人法の話で盛り上がってみる. 多少イレギュラーな状況で将来の法的紛争をできるだけ回避しつつ動こうと考えると, どうしても手続きがめんどうになって,時間とお金がかかってしまいますなあ.

24日分からここまでは28日に書いたもの.


■2001/ 8/26(日)

朝は望月さんが甲斐小泉付近を案内してくださった.みどころは 武田信玄が鞍を掛けたという伝説の残る岩(信玄公旗掛松にそっくりな話……)など. あと,「町条例でヘボを養殖保護しているのでヘボをとらないでください」という掛札を複数見かけたのだけれど, ヘボってなんだろう.

甲斐小泉→鶴舞.塩尻からは土曜・休日のみ運行の快速〔ナイスホリデー木曽路〕を利用. 往時の急行〔木曽〕ほどではないにしても,席はとても空いている. 昔ながらのクロスシートではなくて,新快速仕様の車両になっているのもよい.

実家泊.父親と山一証券自主廃業後の経緯とか, 除権判決制度の問題点の話とかで盛り上がってしまう.


■2001/ 8/25(土)

八ヶ岳エスペラント館.午前は La Junuloj の編集作業.力作揃いですばらしい号になった.午後は JEI の望月さんからライセンス講習を受ける.ライセンス講習というのは, 当直者がいないときにこの施設を使うために前もって受けておくことを要するもので, 内容は鍵の開閉方法,ガス栓の操作方法など.夕食は某 JEJ 代表の手になる豚汁など.おいしかった!

結局,宿泊者数は11名(うち5名は京都在住だけど)となって, 予想以上の盛り上がりとなった.ちなみにのべ泊数は19泊. 八ヶ岳エスペラント館は年間400泊をめどに宿泊数の増加を目指しているらしく, その目標達成に向けてけっこう貢献してしまった.


■2001/ 8/24(金)

京都→甲斐小泉.京都から塩尻までは特急〔(ワイドビュー)しなの15号〕を利用. 甲斐小泉の駅から歩いて10分で八ヶ岳エスペラント館に到着.JEJ 夏合宿. 夕食は最近入ったというバーベキューセットを借りて,バーベキュー.Alain Brumont 作の赤ワインがよく合う.


■2001/ 8/23(木)

大丸に行ったら,「ギフトセット解体セール」というコーナーが設けられていて, ジュース,ワイン,缶詰などが安売りされていた. とりわけワインは普通の半分かそれ以下の値段で,とても食指が動いたのだけれど, 買うのは我慢してラングドックのロゼ1本にとどめておいた. 考えてみればたくさん買い込んでもあと半年で飲み切れるのかという疑問もあるのだ.

その他いろいろあって,思い出に残る一日になった. でもここに書くような性質のことでもないので,今日はこれにて.


■2001/ 8/22(水)

博士課程の S さんの博士論文公聴会.

帰宅してみると,JTB から「新発売 旅の逸品」と題する宣伝物がポストインされていた. 「旅の逸品」というのは,「寛ぎと希少価値のある旅を, 自分流にご満喫いただくためにエース JTB が格別のこだわりと自身を持ってお届する添乗員同行の旅」(ママ)らしい. たとえば「彩りの伊豆・箱根と旅情鎌倉めぐり三日間」は,

1日目「修善寺温泉 一修」の客室はすべて庭園側で,露天風呂からは修善寺温泉を一望できます. 特に紅葉時期は最高の眺望です.2日目強羅温泉「強羅花壇」は,強羅の山々と 7,000 坪の庭園に囲まれた箱根屈指の名旅館.ご夕食は季節の旬をふんだんに盛り込んだお献立をお楽しみいただけます. 3日目の鎌倉では,ハイヤーをグループ毎にご用意.バスでは入れない細い道がいりくむ鎌倉を, 自由かつ効率よく観光していただけます.
となっていて,日本の典型的な旅行スタイルが見受けられる. 駅前旅館などを除く日本の旅館というものは, どのような特徴によって他の宿泊施設と区別されるのだろうか. 修学旅行など大規模団体旅行向けのところとそうでないところとでさらに分類されるのだろうけれど, それはひとまずおくとして,私の想像するところ, というあたりだろうか.
といった問題があると思うので,私はあまり好まないのだけれど. そもそも上の条件をだいたい満たすような旅館に泊まったのは実は1回しかないのかもしれない. 私的所有条件,「建物・庭園」条件,温泉条件,客室露天風呂条件以外を満たす宿には小さいころ何回か家族で行ったことがあるのだけれど.

韓国は欧米に比べれば日本にいろいろな点で似ている国だと思うのだけれど, 日本旅館のような特徴を備えた宿泊施設というのは聞いたことがない. ホテルならたくさんあって,韓国の物価に比べれば料金が高いという点, 日本の旅館に似ていたりするのだけれど.

なぜ日本にはこのような宿泊施設が普及し, 韓国では広がらなかったのかというのが,とても気になる点だ.

それと,韓国の人はどういう国内旅行をしているのだろうか.山なら雪岳山, 海なら東海(日本海のこと)沿岸,黄海沿岸,温泉なら儒城温泉,温陽温泉, 史跡を訪ねるなら慶州,扶余,島なら済州島に閑麗水道, ゴルフ場もあればスキー場もある,と, 観光資源は日本に比べてどれも小粒だけれどひととおり揃っているはずなのだけれど. 日本に比べてもなお休みが取りにくい国柄だから,旅程は短いのだろうか. 交通機関が整備されていないので,そうだとしたら大変そうだ. それとも帰省以外に旅行なんかしないのだろうか. ぜひ韓国の人に聞いてみたいところだ.


■2001/ 8/21(火)

台風のため I 先生から登校禁止令が出ているし,特に外出する用事もないので, あまりどこにも行かずに過ごす.

昨日届いた有斐閣六法の追録を読みつつ,簡単な朝食をとる. デザートは黒みつをかけたところてん.「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(DV 防止法)」と「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」には前文が付いているのが目を引く.

改めて中間法人法をざっと読んでみた.中間法人には有限責任中間法人と無限責任中間法人があって, 無限責任の方は特に説明するほどのこともないのだけれど, 何のために使えばいいんだろうこの制度って感じ.ちなみに無限責任の方では法人が社員になることはできない.

実際には有限責任の方が使い勝手がよさそうで,こちらをもう少し注意深く読んでみることにした. 有限責任の法人としていちばん普通でみんなよく勉強しているのは株式会社だけれど, 株式会社と有限責任中間法人の間の違いを見ていくのはちょっとめんどうなので, 生協(連合会を除く)と有限責任中間法人を比較してみた. 記述の誤りがあっても責任はとれません.

生協有限責任中間法人
目的組合員の生活に必要な物資を購入し,これに加工し若しくは加工しないで,又は生産して組合員に供給する事業など限定列挙社員に共通する利益を図ること
設立時の発起人の人数20名以上制限なし
設立の方式認可による準則主義
最低基金総額なし300万円
社員は基金への拠出をしなければならないまたは出資を有しなければならないか組合員(社員)は出資一口以上を有しなければならない定款の定めによる
現物拠出・事後設立時の検査役による調査制度なし必要
社員の経費負担義務なし定款の定めによる
法定退社事由転居・死亡・除名など死亡・除名・定款で定めた事由の発生など
退社時の出資払戻し制度ありなし
社員総会に代わる総代会の設置一定以上の規模であれば可能不可能
社員総会における議決権の数出資の額によらず各1個原則各1個であるが定款で別段の定めをすることができる
理事・監事の人数それぞれ5人以上・2人以上それぞれ1人以上
社員代表訴訟なしあり
剰余金の社員への分配可能.組合事業の利用分量または払い込んだ出資額に応じてする不可能
基金の返還制度なし黒字ならば可能.返還される基金に相当する金額を代替基金として積み立てなければならない
社員の減少による解散事由組合員が20人未満となったこと社員が1人となったこと
残余財産の分配定款の定め・総会の決議による定款の定め・総会の決議によって帰属が定まらない場合は国庫に帰属する

基金の拠出者としての地位や社員としての地位の処分や差押えが可能なのかどうかがよくわからない. 死亡が退社事由なので,社員としての地位が相続されないことは明確なのだけれど. それから,社員に対して残余財産の分配をすることも自由だというのが, 公益法人との大きな違い.

同窓会などならば社員としての地位が相続されないのは理解できるのだけれど, たとえば「○○家先祖代々の会」あるいは「○○門中」とでも名づけるべき, 一定の親族を会員とする有限責任中間法人を作ったとしてみると, 相続税の課税を回避させる結果を生んでしまいそうだ.たとえば A と A の子 B,B の子 C が発起人となって有限責任中間法人を設立し,A が拠出をして,別荘を購入する.A は死亡・退社する.C の子 D が入社する.B は死亡・退社する.以下同様.別荘を処分したくなったら社員総会の決議で解散すればよい(法人税は課税される).

ともかく,市民団体の法人化とか,非営利目的に用いる商標を管理するために法人を作りたい向きには, 使えそうな制度だ.

部屋の片づけをしたり(そうそう,内装も雰囲気を変えてみたいものだ), ちょっと手間のかかる洗濯をしたりしているうちに,日が暮れてしまった.


■2001/ 8/20(月)

午後から夜まで KRP へ.某サイトの立ち上げ作業.メールを 1,500 通ほど送ったら,送信遅延が発生してしまった.もちろん原因は他にもあるのだけれど, その他の原因というのも私がずっと前に書いたスクリプトの負荷が高いことだというのだから, 困ってしまう.


■2001/ 8/19(日)

日曜日だからだろうか,多くの町内で地蔵盆が開かれている.

このサイトにどこからリンクが張られているのか,久しぶりに調べてみる. 頼りになりますりかりかスクリプト. 2件ほど新しくリンクが張られていることを発見.とてもうれしい. もし私が好意的な評価を受けることができているとしたら, それに応えられるように精進したいものだ.その他, 検索語は「企業ブラックリスト」と「メルボルン事件」が圧倒的に多い. やはり世間の耳目を集め続けている事柄なのだろう.

髪を切ってもらった.前髪なんかは自分でも短くできるのだけれど, 専門家の方が上手だということを再認識させられた.

日曜なのであまり他人と顔を合わせることはないだろう, と思って適当な服で研究室へ.予想に反していろいろな人に会ってしまった. 研究室の I さん.K さん修了後のベストドレッサー候補と目される人間だ. このところ見かけていなかった某研究室の Y さん.お菓子をほおばっているときなど, あまり他人の目に触れたくないときにばったり出くわすことが多い人で, 数か月ごとに髪型が変わる人としても知られる. 今日はなんか横がふわっとした感じで,以前と変わったなと.いちおう調べてみると, なんだ,研究室のメンバー紹介にも同じ髪型で撮った写真が載っているではないか. 気づくのが遅い…… > 自分.


■2001/ 8/18(土)

帰国してみると,研究室の隣の部屋の壁が塗り変えられて, カーペットが敷かれていた.

それはいいのだけれど,揮発性化学物質のいやな匂いが部屋に立ち込めるだけでなく, 廊下にまで広がっている.きっと体によくない.

隣にはだれもいなかったので,ちょうどいい機会だと思って, エアコンを止めて窓を全開に.

最近新聞を賑わせているシックハウス症候群というのは, 新築建物の建材から発散するホルムアルデヒドなどの化学物質に室内空気が汚染される結果, 皮膚,眼,呼吸器など全身に不調をきたす状態のこと. これを防ぐためにはベークアウトといって,いったん住人が全員引っ越して, 暖房をがんがんたいて,無人になった家の室内温度を上昇させて, 化学物質を揮発させ,しかる後に換気することにより, 空気中の有害化学物質濃度を下げるという方法で対処するのだそうだ. 35〜40℃で1週間ベークアウトするとかいう話も聞くのだけれど, この研究室ではそんなこともできないし,第一そんなことをしたら隣に迷惑でしょうがないので, 密かにこんなことをしてみたもの.

実はこれは研究室に夜間飛来する虫(ユスリカだと思う)よりもはるかに深刻な話. 虫の方は不快なだけだけれど, 揮発性化学物質の方は実際に健康を害してしまうのだから.

隣室の住人がシックハウスならぬシックビル症候群にかからないことを祈る.

Communications of the ACM 7月号の特集「The Global IT Workforce」を流し読み.IT 業界をそこで働く人の側から眺めた特集で, ためになった.就職活動をしていたときは日本の中のことだけしか考えていなかったのだけれど, 実際には発展途上国から米国まで IT 業界は幅広くて,その間を流動するのが IT 労働者なのですね.

リンクページを更新.すみれさんのページを久しく訪問していなかったのはいまさら隠しようがない. リンクを「現在更新されていない日記」欄に移動させるのは筆者さんのことを考えると心苦しいことではあるのだけれど, 反面「最近の日記,あるかな?」と期待してリンクをたどる人も多いのだろうし. ということで,おんだくんごめんね.

夕食には,かねてから問題意識を持っていた「とろかれい」を購入.この魚, 値段が安いというのが唯一のとりえで,けっこうきつく塩がしてある上に身が柔らかすぎて, 煮たり焼いたりしても食べられないのである.

じゃあ,というわけで,シェリー酒を振って電子レンジにかけてみた.バター 30 g とそれに見合う量の小麦粉と牛乳とでホワイトソースを作って, 付け合わせはゆでじゃがいも.

食べてみたところ,生鮭などと異なり魚の味が淡白すぎて, あまりホワイトソースに合わない.しかも塩気は濃すぎる.

そこで,淡白な食べ物といえば豆腐!(笑)なので,思いついたのはこれ. 「豆腐を皿に盛って,上に『とろかれい』を載せて日本酒を振って, 電子レンジで調理する」というレシピ.

とりあえずどんな味になるのか想像してみたのだけれど, 食後だという点を割り引いてもあまり魅力を感じないなあ.

なおその他判明したのは,「生の帆立貝柱もホワイトソースには合わない」ということ. 貝柱を焼けば相性がよくなるのだろうけれど,やはり生ならレモンとしょうゆでさっぱりと. でも生の帆立貝柱はご飯とも相性がよくないのだ.甘めの日本酒と合わせるのがオーソドックスなのだろうか.


■2001/ 8/17(金)

濱田 陽「「無宗教」との「対話」――チャペル・ウェディングと, 日本のキリスト教――」,京都大学大学院人間・環境学研究科日本文化環境論講座『日本文化環境論講座紀要』第3号(2001年3月発行),87〜100ページ
を読んだ.プロテスタントの牧師たちが「キリスト教ブライダル宣教団」という有限会社組織の団体を1980年に結成し, この団体が積極的に結婚式場等に働きかけることによって, 今日のようなキリスト教式結婚式の流行が生み出されたらしい. 非信者間のキリスト教式結婚式(そういえば神道式の場合, 新郎新婦が神道の信徒なのかどうかは問題にならないのだろうか)は日本の古きよき伝統(笑)だと思っていたのだけれど, そうでもなかったのか.ちなみに特にカトリックでは教義との関係が問題になるらしく, 筆者も抑えた筆致でそのことに言及している.


■2001/ 8/16(木)

「終戦記念日」のまたの日.Google のトップページの Google ロゴがムクゲの花・太極旗・巴の図案を取り合わせたものに変わっていた. ただし言語設定によって表示は変わるようだ.うーむ.

生協の旅行センターに行って JR のきっぷを申し込む. 連続乗車券を買うのは初めて.乗る区間はほぼ京都市内から甲斐小泉(小海線)往復に近いのだけれど, 復路が名古屋市内止まりなので.係の人が昨日まで清里にいたということで, 小淵沢近辺の観光地図を付けてくれた.にこにこ.

五山送り火は,バスと京福電車を乗り継いで嵯峨鳥居本北代町へ. 清涼寺の北側に鳥居形がよく見えるスポットがあるのです.20時20分点火で, 約30分ほど燃えていた.さすが「鳥居本」っていうだけあって,煙が高く上がって, すごい迫力.帰りは市バス11系統から地下鉄に乗り継いで,22時20分ごろ帰宅.

リンクを修正.


■2001/ 8/15(水)

附属図書館は9時から17時までオープンしているし, 生協も明日からは夏期営業時間モードで営業.けっこういつもどおりの生活が可能になったのがうれしい.

旅行中に財布のファスナー部分が壊れて使えなくなってしまっていたため, イズミヤで財布を購入.旅行直後で現金が少ないところなので新渡戸さんが飛んでいってしまったのはちょっと悲しい.

今日の夕食は,冷や奴,なすとぶりのあらのナンプラー煮,トマト. なすは実際には煮込まず塩水でゆでるだけにして, ぶりのあらはナンプラーと少しの砂糖で煮込んで, あら熱をとっておき,器にゆでなすを盛りつけてぶりのスープを注いで, みょうがのせん切りを天盛りにしてみた.なかなかおいしい.


■2001/ 8/14(火)

ソウルから帰国.大地を這うような旅だった. 韓国行きは4回目(過去の韓国行きは順に,語学研修,慶州旅行, 研究室ソウル旅行)だし,1泊以上の船での旅行としても4回目(過去の1泊以上の船での旅行は順に, 九州,小笠原,沖縄)なのだけれど,玄界灘を船で越えたのは初めて.

それにしても,趣のある旅だった.到着したソウルでの KS(日韓中青年エスペランティストの大会)は思い出に残るものだった.食の面では, 今回は寄宿舎的食事だったので,100 % 楽しめたとはいえないけれど,最後の夜のカルビが楽しかったのでよしとしよう. その他,今回の旅行ではみやげもの方面が楽しめるものだった.言語学研究者 F さんには,永豊文庫で買った本たち,韓国文化に関心のある Y さんには,竜山電子商街で買ったゲームソフト.一方,KEJ 役員の K さんからは,合宿マスコットのクロコダイルくんが刺繍された,K さん自身の名前も入っているキーホルダー,KS で知り合った釜山人 S さんからはノリゲ(女性がチマチョゴリを着るときにつける装飾品[小学館 朝鮮語辞典])を模したキーホルダーをいただいて,こちらもとてもうれしかった.

大会記念品は大会の模様を完全収録した CD-R.さらになぜか「The Hiphop New Skool」という製品名の「ヒップホップ体感ゲーム」(写真.IBM PC 互換機で動作.足で操作するパッド付き)をもらってしまったのだけれど,私は DDR みたいなゲームはしないので,うれしさも中くらい. だれかもらってくれる人がいたら,お譲りしましょう.

京都に帰ってみると,アイスランドから7月30日に送った小包が届いていた. 京都は本当に暑い.アイスランドでは無用の長物だった扇子が小包に入っていて, その扇子で暑さを和らげつつ,シャーベットを食べたりして, 日本的情緒を満喫.

ノースウェスト航空から英文のダイレクトメールが. 6月末現在のマイレージ明細書.昨年ボストンに行ったときのマイレージがその後微妙に増えて,15,000 マイルを越えたということで,北海道とか沖縄とかソウルへの無料航空券が手に入るらしい. ふむふむ.ソウルは微妙だけれど,国内線で使えばけっこう価値があるのかもしれない.

夕食は,豚肉とにがうりの炒め物,冷や奴,なすの塩もみと, うちでは夏の代表的メニューになっている取り合わせで決めてみた.

個人あてメールは読了.新種のワームとウィルスが猛威をふるっているらしい. 困った困った.とりわけ CodeRed とその変種はトラフィック的な問題も引き起こすらしい. 常時接続なんかでセキュリティ面の対策をしていないと, こういうことになってしまうわけだ.

参院選の結果は8日帰国時にウェブで見て知っていたのだけれど, 昨日のニュースで首相の靖国神社参拝を知って,びっくりした. それにしても小泉さん,靖国神社なんか参拝しなきゃいいのに,とつくづく思う. 普通の神社やその他の宗教施設に参拝するのなら,だれもとがめはしないのに. こんなことでポリシーを貫いてどうするのだろう.それに, 「国のために戦死した人をまつる」というのは日本の本来の伝統とずいぶん異質なものな気がする.

まとまりのない日記だけれど,今日はこれにて.


■2001/ 8/ 9(木)

スウェーデン・アイスランド・イギリスから昨夜帰国. いろいろな人と会って,いろいろなものを見た旅だった. 詳しい話はまた後日.

昨日生協で朝食用に豆腐とトマトを買っておいたのだけれど, うっかり冷蔵庫に入れ忘れてしまった.トマトは別にいいのだけれど, 豆腐の方は味見してみると案の定酸っぱくなっていて,泣く泣くごみ箱へ.

それでは,ソウルへ行ってきます.郵便物には全部目を通したのだけれど, メール(1,615通もあった!)はまだ読んでいないので, 返事はしばらくお待ちください.


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