2000/ 7/11(火)

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★ICMAS 2000 私的レポート - 目次   ◎ほーむ


研究室のノート PC を持ってきて,やはりノートはいいなあ,と思った. それで,私もノートを買おうと思って,条件を列挙してみた.

朝食にはブルーベリーがお皿に載ってたくさん出されていた. ブルーベリーを普通の果物のようにたくさん食べるというのは初めて. ラズベリーと違って甘いフルーツなのだということがよくわかった.

Grosz の "What's needed to build team players?" と題する招待講演と,一般発表を聴いた.

昼食は I 先生の誘いで Y 先生,Carl Hewitt (!) と Legal Seafoods で会食. Carl Hewitt は I 先生よりしばらく前の時代に優れた研究をした人で, いまは人工知能の大御所のえらい人.Gumbo を食べた.辛いスープをご飯と混ぜつつ食べると, あの延世大学の学生寮の食事を思い出してしまう.I 先生は次回のこの ICMAS の General Chair をすることになったので,その関係でいろいろ相談を Hewitt としていた.

昼下がり,エクスカージョンへ.Freedom Trail の一部のガイド付きツアーが主催者によって用意されていたので, それに加わることにした.ツアーに参加するため, 泊まっている7階から集合場所の1階へとエレベーターで降りようとしたのだけれど, 3分ほど待ってもエレベーターが来なかったので,あきらめて階段で降りた. 速いエレベーターが6台もあるのに,どういうスケジューリングしてるんだろう.

ガイドさんとともに20人ほどで Freedom Trail を歩いて進んだ.Freedom Trail というのは, 米国がイギリスから「自由を」勝ち取った歴史についての史跡を歩いて回るコース. 日本人は私一人.米国最古の公園,ボストン・コモンを脇に見つつ, Granary Burying Ground へ.お金持ちの独立主義者 John Hancock, Samuel Adams, Paul Revere(「真夜中の疾駆」で知られる)などのお墓が. ガイドさんは女性で,赤紫色の old-fashioned なワンピースを着て,帽子のふちにはレースがついていて,雰囲気がある. 『大草原の小さな家』とか『農場の少年』とかに出てきそうな感じ. わかりやすい英語だが早口で強い口調の人だった. ボストン茶会事件の謀議が行われた Old South Meeting House,旧州庁, ボストン虐殺地跡を見学し,市役所前で解散.

地下鉄(ボストンでは「T」という名前で呼ばれている)に初めて乗った. のろのろ走ってときどき止まるので,路面電車なみの遅さ. もっと車間を空ければいいのにと思う.それとも急行があるのが問題?

夜は Newbury St., Beacon St. を歩いた.Beacon St. は都心だけれど住宅がたくさんある.れんが造りで3階建てプラス屋根裏プラス地下室. 日本だったら地震に耐えられないだろうなと思った. それから,玄関がちょっと地面より高くて狭いので, 車いすとかを使っていると大変だと思う.でも,高級住宅街だそうだ. 食料品店が見当たらない.衣類雑貨はたくさん売っているのに.不思議だ.あと, 路面店(百貨店でなく通りに面している小売店のこと)の2階や3階のスペースは何になっているのだろうというのも不思議. Prudencial Center でジャムを買って, セルフサービスのフードコートで中華風の夕食をすませた.Steamed rice は涙が出るほどまずかった.白いごはんなのだけれどひたすら硬い.Au bon pain でアイスティー.

エレベーターは今度も1分40秒待ち.しかも,中2階の階床ボタンを押した瞬間はそのボタンのランプがつくのに, ボタンから指を離すとすぐランプが消えてしまい,中2階に止まらない. これはよくあることだけれど.この前は,エレベーターに乗ってみたら, 中を見るとどの階床ボタンも点灯してない状態で家族連れが乗っていたし(彼らはいったいどこに行きたかったのだろう?). 今日は,下ボタンを押したのに,上行きのエレベーターが止まってドアが開き, 下ボタンのランプが消えてしまうという珍事も発生した.

寝る前,Y 先生と,携帯電話とエージェントの関係などについて語った.


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