みしっく今日のひとこと - 2011年6月


■2011/ 6/25(土)  ウィーク・タイズという考え方.

書棚で目にとまったので,渡部卓『会社のストレスに負けない本』(大和書房,2005年)を手にとって読んだ.

内容はそれほど新しいものではないし,著者の個人的な経験に基づく主観的な記述もまま見受けられる.ただこの本の読みどころは,著者の華麗な外資系企業遍歴と,その経験談の迫真性にある.著者はモービル石油を皮切りに,ペプシコ,アパレル系企業(会社名不明)などの外資系企業を転職する中でキャリアアップを図っていき,ドットコム・バブルのさなかには,AOL(いまでは社名もすでに懐かしい響きがある),そしてCiscoで上級管理職従業員として働いたという.そして,当時注目のベンチャー企業だったネットエイジの副社長を務め,2003年にメンタルヘルス関連領域の会社を起業.

著者は「社外の友人(ウィーク・タイズ)の大切さ」を説く.weak tiesというこの概念は,社会学者マーク・グラノヴェッターによって提唱されたもので,「弱い紐帯」と訳される.家族・友人などとのストロング・タイズとは反対に,「たまにしか会わないけれど信頼する人との細く長い関係」を指す.グラノヴェッターの調査によれば,いつも会っているような人たちは同じような情報しか持っていないので,こうした人たちから転職や仕事の転機でキーとなるような情報を得ることは難しく,いわば広い範囲の浅い関係の人たちとのつながりから,転職だけでなく実際の仕事にも有用な情報を得ることができるのだという.私自身,仕事と家事とに埋没してしまうと,なかなか仕事以外での人間関係を築くことが難しくなるという現状があり,試行錯誤が必要と思う.

その他目にとまった記述は以下の通り.

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■2011/ 6/11(土)  就活とブラック企業

昨年11月に大阪で「ブラック企業の見分け方」をテーマとしてシンポジウムが開かれ,その内容をまとめたという森岡孝二編『就活とブラック企業』(岩波ブックレット,2011年)を読んだ.

思えばブラック企業というカテゴライズが広まったのは10年ほど前からだったと思う.それ以前にも,過労死・過労自殺や過重労働を告発する動きは続いていたのだけれど.

題名からは,ブラック企業の簡単な見分け方が載っているのではないかと期待してしまうものの,学生にとってそう簡単に見分けられるものではないことがこの本には示されている.

森岡氏は「ブラック企業を,過労死・過労自殺を起こした企業,労働基準法が守られていない企業,残業時間が異常に長く,サービス残業(賃金不払い残業)が恒常化している企業と定義しますと,有名企業を含め,日本の企業の多くはブラック企業といえなくはありません」とした上で,ブラック企業はこれより狭い意味で使われる概念であること,具体的には学生から見て「労働条件が酷いので就職したくない企業」あるいは「労働条件について悪いうわさがあるので,できれば避けたいが,就職難なので避けてばかりもおられない企業」と規定している(13ページ).

地域労組おおさかの書記長,中嶌聡氏は「一方でいまや『就職すれば違法に当たる』くらいブラック会社が広がっています.ですから,やっぱり考えないといけないのは,ブラック会社に入ってしまった場合に対抗手段を知っておくこと」として,労働組合に入って憲法28条所定の権利(団交権・団体行動権)を行使すること,それを通して「ブラック会社を正していく」ことを提言している(52ページ).

東京新聞7日付朝刊に懐かしい人の近況が載っていた.「自然エネルギー生活実践する長野県職員 中島 恵理さん」.私が京都に行く少し前に京都から東京に就職した人.確か中島さんの働きぶりを見て,国家公務員I種は私向きの仕事ではないと思ったことがあった気がする.白書類が刊行されるたびに寄贈してくれる後輩思いの人ではあった.その後どうされたかは耳に届かなかったけれど,記事によれば,環境省,資源エネルギー庁に勤め,長野県富士見町で農業を営む男性と結婚,夫の実家から約140キロ離れた霞ヶ関を行き来する金帰月来の生活を送ってきたが,長野県職員となったいまは80キロ離れた長野市から週末に自宅に帰る生活という.充実した仕事をするのは,気力と体力が十二分でないと難しいのかもしれない….

昼食にチャジャンミョン(짜장면.「ッチャヂャンミョン」と表記する人も少数ながらいる)を食べる.昔,韓国の食堂でしばしば口にした味.こしのある麺に,黒い肉みそ.ほとんど辛くないこともあり好きな韓国料理の一つなのだけれど,実はチャジャンミョンが好きと言うのは,「好きな料理は?」と聞かれて「はんばーぐ!」と答えるように,少し恥ずかしいことだといわれる.キムパプが好きでもチャジャンミョンが好きでもいいと思うのだけれど….

細かいことを言うと,韓国では中華料理の一種と認識されているらしい.日本でいうラーメンのような存在か.それが韓流に乗って,国内で半生麺が製造され,脱酸素剤を封入することで遠く東京まで流通するようになるとは,当時は想像が及んでいなかった.

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■2011/ 6/ 6(月)  辞書にない単語…

Revuo Orienta今月号に懐かしい名前が載っていた.私の京都時代の同年輩のエスペランティストに関する記事.

編集部からのインタビュー形式で,ごく平易な単語からなるので通勤電車の中ですいすい読めたのだけれど,一つだけどうしても意味がわからず推測もつかない単語があった.それは,maĝango.manĝadoと同様にĝuiする(楽しむ)ものらしい.帰宅してエス和辞典を引いても見当たらない.ウェブを検索してみたら,gotcha!

夕食に「かすべ」なる魚を食べる.昨日店頭で見つけて煮て冷蔵庫に入れておいた魚.Wikipediaによればエイのことらしい.

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■2011/ 6/ 5(日)  発達障害に気づかない大人たち

星野仁彦『発達障害に気づかない大人たち』(祥伝社新書,2010年)を読んだ.

発達障害というと相当幅広い疾患群を指すけれど,これらは神経学的基盤を持っていること,有病率が高いこと,他の疾患と同様に遺伝的素因に左右されるが遺伝だけからくるものではないこと,特にADHDについてはメチルフェニデートによる薬物療法が有効であること,適切な治療がなされなければ二次障害を併発するリスクがあることなどを解説している.著者の専門がADHDだからなのか,LDやPDD方面の解説は薄い.

ADHDというと,教師の言うことを聞けない・暴力を振るう男子という印象があるけれど,これは多動性・衝動性優位型として分類され,ほかに不注意優勢型というものもあって,こちらは男子のみならず女子にもしばしばみられるという.自動車学校で初めての路上教習のときに人をひきそうになり,教官に「一生運転するな」と言われたという記述には迫真性がある.

しかし,白血病などの疾患が細分化され原因の特定が進んでいったのに対し,発達障害の研究はまだまだこれからといった印象を受けた.疾患の記述ができただけ一歩前進だけれど,専門とする医師が少ないので実際に診療を受けるのは決して容易ではないはず.薬物療法も往時のリウマチの金療法のようなレベルのようにも見受けられると言ったら怒られるだろうか.

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