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米国の独立後,イギリスの植民地にとどまる当地は米国からの軍事的脅威にさらされていた.モントリオール・キングストン間の輸送路として用いられていたセントローレンス川は,対岸が米国領なので,ひとたび開戦に至れば容易に寸断されてしまう.米英戦争(1812年-14年)を受けて運河の開削が決まり,ジョン・バイ中佐 John By により実施に移され,6年の歳月をかけて1832年に開通した.ちなみにこの運河の工事に伴ってできた町がオタワだ. 写真 145はネピアンポイントから撮影したもので,オタワ川との合流部分の水門7個ほどと,水門の管理棟を望むことができる.写真右下の部分がオタワ川で,いくつもの水門を経て奥に見える橋の方向の上流区間に到達する.左手には豪華ホテルのフェアモント・シャトー・ローリエ,右手には国会議事堂の端の部分が写っている. |
水門の通過の手順は下記の他サイトに譲るとして,ちょうどボートが数隻通過するところに居合わせたので,それを写真で解説したい.写真 146には6個の水門が写っている.もっとも手前の,写真右下の部分が最上流区間.この区間から水門を一つ隔てたところに数隻のボートがいて,その水位はその奥の区間と同じになっている.手前の水門の近くの陸地にあるパドルを操作することにより,地下に作られた水路を通って水が流れるようになり,奥の区間と手前の区間の水位が一致するまで奥の区間に水が流れ込む.水位の上昇が止まったら,水門を開いて通過することになる(写真 147). |
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