植物ヲ学ブモノハ一度ハ京大ノ芦生演習林ヲ見ルベシ
――または,光るきのこの見つけ方――

◎ほーむ


「植物ヲ学ブモノハ一度ハ京大ノ芦生〔あしう〕演習林ヲ見ルベシ」とは, 戦前に功績をあげた植物学者,中井猛之進 [1] の言葉だ.中井は東京帝国大学に所属していたものの, 手つかずの生態系が残っている芦生演習林を訪れたいと願っていた. 望みどおり中井は芦生を訪れることができ,そこでスギの新変種アシウスギを発見したのだった. この旅行記は,中井の 70 年後に,私が芦生を訪れた際のものである.

芦生演習林は京都大学に属する.所在地は京都市の北方, 美山町(みやまちょう)であり,福井県・滋賀県とも近い.高度は 355 m から 959 m.冬は降雪が激しい.

芦生演習林の歴史は,一帯の所有者との合意に基づき,1921 年,国が 99 年間の地上権を設定したことに始まる.その後,林道・森林軌道の建設, 樹木の一部伐採,スギを中心とする樹木の植栽が行われ, 研究のために利用されてきている.

芦生への行き方はいくつもある.京都駅から芦生(正確には,大字芦生 小字須後(すごう))へは,3 時間かかる.まず JR バスに乗り,安掛(あがけ)で乗り換えればよい.出町柳からは,バスで 2 時間,その後歩いて 4 時間.車があれば,2 時間で十分だ.

地図
芦生演習林と今回の旅行の地図(クリックして拡大)

芦生での休日

10 月 12 日から 14 日にかけて,この芦生演習林を訪れた. 秋の林を感じ楽しむこと,きのこを採ること,山に登ること,カヅラ作業所という名前の, 演習林当局が使わなくなった小屋に行ってみることが目的だ. 以下はその旅行記である.

小野村割岳へ

12 日,早起きして,朝食の後,昼と夜に食べるためのおにぎりを作る.8 時,京都バス広河原行きに乗車し,広河原到着は 9 時 44 分.佐々里峠からの道は舗装されていない.佐々里峠通過は 10 時 49 分.広河原と芦生の間にそびえる小野村割岳(名前の読みは不明)を散策する計画があるので, まずこの山へ向かう.途中,シカや,考えられないほど大きなスギ, 有毒きのこクサハツ,食用きのこアイタケ,食べないきのこザラエノハラタケが興味をひいた. 数時間後,雨が降り始めた.小野村割岳への到着は 15 時 6 分.

ビバーク

山頂で菓子パンを食べた後,15 時 21 分に出発.カヅラ作業所は山頂からはるか下にある. ところがまもなく,大問題が発生した.道しるべが見つからないのだ. このまま下るか,とって返すか,それが問題だ.ちょっと考えて, 下ることにした.とって返せば道は安全だが,小屋まで 7, 8 時間かかってしまう.そこで,谷を下り始めた.谷は勾配が急で, 手を使って下りる必要がある.雨も降り続けている.しかし,不安は長くは続かなかった.16 時 43 分には,20 〜 30 m の落差のある滝を発見.この滝の先へ行くのは簡単でなかったけれど, とてもきれいな滝だった.私のニックネームにしたがい,「みしっく滝」と名づけることにした. 同時に,登山者に道を指し示してくれる古い粘着テープを発見.

道はあいかわらず難易度が高い.粘着テープはときどき見つかっても, 道そのものは見つからない.空がしだいに暗くなってきた.17 時 30 分,ちょっとした高台が見つかり,ビバークを決心した.寒い. 夕食をとって,横になった.夜半には雨はやんだものの, 寒さで体がふるえるぐらいだった.風がほとんどないのが幸いではある.

夜明けが訪れた.朝だ.朝食をとり,顔を洗い,6 時 33 分に出発. 道はやさしくない.やがて,シカたちが現れた.互いに鳴き交わし, 逃げていくのを見て,

奥山にもみぢふみわけなく鹿の声聞くときぞ 秋はかなしき
という和歌を思い出した.優美な歌とはいえないが,有名な和歌だ. フランス語のラジオ講座を聴くため,半時間休憩.9 時,とうとう森林軌道のある地点に到着した.

カヅラ作業所

私が下った谷は,「カヅラ谷」と呼ばれている. 今回の目的地の一つでもあるカヅラ作業所へは,軌道に沿って歩けばわずか数分だ. 小屋に重いザックを下ろし,振り返った.小野村割岳からカヅラ作業所までは,3 時間 30 分かかった.このルートは技術的な難しさがあるので, 初心者には勧められなさそうだ.

木造のこの小屋は荒れ果てていた.白い土壁は落書きで埋まっていた. 壁や床がない部屋が多く,完全なのは屋根だけだった.9 時 33 分,西を目指して出発した.道(軌道)は平らだ. それは,列車はでこぼこした場所を走れないから.20 分後には小屋に戻り,ご飯を炊きつつ,時間が過ぎてゆくのを味わいつつ過ごした. ふと壁に目をやると,クリスマスイブの日付が落書きされていた. これを書いたのは寒さを何とも感じない人たちにちがいない. やがて,雲ひとつなく晴れ渡った.カレーライスを食べ,過ぎてゆく時間を楽しんだ.

12 時 7 分,東へ,つまりより森の深くへと出発した.30 分ののち,ツキヨタケを発見.このきのこは,光るきのことして日本ではもっとも有名なきのこだ. 遠くに行けるだけ行ってみようと心に決めて,さらに歩いた. さらに東の地点では,レールがなくなっていた.とはいっても道は幅広で, 驚くべきことにスギが植栽されていた.針葉樹については, 普通,「間伐」ということをする.間伐は,役に立つ太さまで木を育てるために必要な仕事だ. けれども,このあたりの木々は間伐されずに放棄されていた. さらに東へ向かうと,道がだんだん厳しくなってきた.13 時 41 分,川がとうとう行く手をふさいだので,戻ることにした.

小屋の近くの川岸には,たくさんの足跡が砂の上に残されていた.3 種類が見分けられた.一つめはまるくてちょっと大きいもの.二つめは, ひづめが二つに分かれているもの.最後のは,ひづめが三つで,小さい. どうやら人間よりもけものの方がたくさんいるようだ.本を読み,ご飯を食べた.

芦生では,川が円を描いて流れている.川は日本海へと続く. 道は歩きにくいけれど,川をカヌーで下れば楽しそうだ. カヌーがあれば,徒歩ではたどりつけない場所に行くことができるかもしれない.

暗くなった.うとうとしながらラジオを聴く.山に囲まれているので, ラジオが世の中の動きを知る唯一の方法だ.ふとツキヨタケを見ると, 音もなく美しく光っている.すごーい,芦生に来たかいがあったよ, と心の中で叫んだ.

帰還

朝になった.食事をすませ,7 時 18 分,出発.軌道の上を西へ向かう.ときどき壊れた橋に出くわしたけれど, よくよく見ると,橋が落ちる心配はないようだった. もしどれかの橋が落ちていれば,こんな文章を書いていることはできず, 代わりに新聞が事故について報道するだろう.フランス語講座をラジオで聴いて,8 時 28 分には小ヨモギ作業所に到着.ここは芦生でもっとも快適な小屋だ.

出発してから 15 分ほどで,中年のグループに出会った.他人と会うのは初めてだ.9 時 48 分,灰野で道は二つに分かれる.一つは須後の事務所への道, もう一つは山々を越えて広河原へと至る道だ.後者を選ぶ. ここまで来るのは大変な場所だけれど,それでも道の脇にはスギが植えてある. 有効活用できるのかどうか,それが問題だ.スギ林でスギヒラタケをたくさん見つけた. この白い食用きのこはスギの古い枯木に生える.欲しいだけ採集しても, ほどんど量が減ったようには見えなかった.12 時 26 分,広河原へと小野村割岳への分かれ道.すぐに佐々里峠に到着し,13 時 45 分,広河原着.14 時 30 分発のバスに乗って,旅を終えた.

採集したきのこ

ツキヨタケは冷蔵庫で保存し,6 日間光り続けた.スギヒラタケは卵とじに. にんじん菜と酢の物にしてもおいしかった.

参考文献

[1] 「植物ヲ学ブモノハ一度ハ京大ノ芦生演習林ヲ見ルベシ」,中井猛之進,植物研究雑誌 17 巻 5 号(1931 年 5 月) 273 〜 283 ページ.


本稿で使用している地図は,建設省国土地理院発行の 5 万分の 1 地形図 「四ツ谷」「北小松」を複製したものである.